【連載:wedding003/序】 わたしたちに無理のない、わたしたちらしい方法を、わたしたちで考える

わたしたちは「結婚するなら結婚式やパーティをしよう、できたら、入籍して暮らしはじめてから一年以内に」と考えていました。それ以上あとになったら「まあ、いっか」でやらずに終わるかもしれない。家族への感謝を形にするためと、相手の人間関係をお互いに知り交わらせるためにも、やっぱり結婚式はやっておきたい。

ただ、わたしたちには結婚資金はありません。もともと「結婚」そのものがしたかったふたりではないし、こつこつ貯金できる性分ではないので(ひらくくんはさておき、少なくともわたしは)、結婚情報誌が大声で「結婚資金の平均は300万円!」というのを真に受けていたら、百年が過ぎても結婚式は挙げられなかったでしょう。いいえ、たとえ結婚のためだけに自由に使えるお金があったとしても、結婚式に300万円も使うつもりなんてありません。わたしたちがやりたい結婚式は、そこまでお金を用意しなくてもできそうでした。

ひらくくんは学生時代に、大阪市内の結婚式場で音響担当のアルバイトをしていました。結婚業界の裏側を覗いたことがあるから、何にどれくらいお金がかかるか、そしてそれが自分たちに必要かどうかのジャッジメントはとてもシビア。わたしはわたしで、企画を生業としているせいか「自分の結婚式を、誰かのアイディアを借りてするのは居心地が悪いなあ」とぼんやり思っていました。

とはいえ、結婚式は未踏のイベント。ウェディング雑誌を買ってきてペラペラとめくってみたりホテルのウェディングフェアに行ってみたり。会場費、ドレスレンタル料、料理……雑誌でも式場でも目を見張るような数字ばかり! きらびやかな会場にあらゆるアイテムや演出が紹介されていたけれど、わたしたちには要らないものも多かったのです。やりたいことが見つかるのではなく、これは要らないなというものがはっきり見えてきました。それと同時に大事にしたい欠かせないことが浮かび上がってきました。

【わたしたちが大事にしたいこと=お金はないけどケチらないこと】


1 おいしいごはんでおもてなし
料理は自分たちが自信をもって美味しいとすすめられるものにしたい。それでいて、年配の親戚にも食べやすいもの。結婚式の日は、家族と親戚、親友に囲まれた25名規模の食事会と、友人を招いての120人規模のBBQパーティという二部制にしたのですが、そのどちらも満足してもらえるようにしたい。早い段階から、第一部の食事会の料理は、ひらくくんもわたしも好きな大阪・新町にあるバロッコさんにケータリングをお願いするしたいと思っていました。



(↑箸でも食べられる、イタリアンをベースにしたフルコースでした)

【barroco(バロッコ) 食べログ】
【バロッコたけこちゃんのブログ 当日のレポート】



2 遠方の友人にも来てもらいやすいように
ひらくくんが大阪、わたしが東京で暮らしていたため、最初は大阪と東京で結婚式のツアーをやろうなんて考えていました。が、二度もやるわけにもいかず(費用やテンションの問題、そしてお互いの人間関係を交差させたいという目的があるから)、結局関西・神戸塩屋「旧グッゲンハイム邸」で行うことにしました。が、東京や北海道の友人にもやっぱり来てもらいたい。自分が花嫁なのに関西でアウェイな結婚式はイヤ! というわたしの主張と、高い会費で出席を躊躇してしまう二次会も多いし、ライヴを観にいくぐらいの軽い気もちで来てもらえたらというひらくくんの考えもあり、会費を3,000円に設定したフリードリンク・フリーフードのBBQパーティにすることに決めました。




3 花嫁衣裳やヘアメイクは万全に
一世一代のハレ舞台、花嫁のワガママですが、ここは絶対に手を抜きたくないところ。しかしレンタルにしてもセルにしても、調べて愕然としたのが花嫁ファッションにかかる費用……。かといって、ケチるとそれ相応の衣裳になってしまう。フルオーダーなら自分の体型に合うドレスを作ることができるけれど、そうもいかないから、何度も試着も重ねて選ばないといけないし……。ヴェール、アクセサリー、靴、ヘアメイク、ネイル、補正下着まで……。いいなと思うものを見つけて、値段を書き出していったら、小さな新車が買えるようなお値段になりました。花嫁さんってなんて高いの!
さすがに困って「ドレスどうしよう」と口に出していたら、思わぬところから協力の手が! その結果、とてもすてきなドレスをお借りすることができました(ドレスについてはあとでくわしく)。ヘアメイクは、フリーのヘアメイク兼エステティシャンとして頑張っている、センスのよい年若い友人にお願いしようと最初から決めていました。その後、下着問題も、ネイルも、当日の着付けも、全部周囲の友人たちの親切心と技によって解決することができました。




わたしたちの現在と未来にとって無理のない、それでいて、自分たちがやりたいことしかしたくない(やりたくないことはしない)。じゃあ、自分たちの知恵と手足を使おう、それから、身の回りにいる友人たちに相談しよう。わたしたちが遠慮せずにリクエストができて、わたしたちの考え以上のものを作ってくれるプロフェッショナルがいるじゃないの!
と、お互いがこれまで出会ってきた友人たちの大活躍や、友人たちが大集合してくれることで、その結果、すてきな結婚式・食事会・パーティになりました。


終わったあとに収支を計算したら(イベントの後片付けは収支計算までキッチリと)、いただいたご祝儀の合計と経費がニアリーイコール。もちろん協力してくれた方へのお礼や、お祝いをしてくれた方へのお返しは決してじゅうぶんとはいえません。結婚のために資金をためていなかったふたりが、ほぼ持ち出し無しで無理せずに結婚式ができたのは、わたしたちのまわりの方々の厚意と協力あってのことです。ここでもまた感謝感謝なのです。

【連載:wedding002/序】 結婚式の目的とテーマ

恋人としてお付き合いをして、ふたりで生きていく50年近い日々が見え、プロポーズの瞬間があり、入籍をして夫婦となり、一緒に住み始めたのが2009年の12月。その時にはすでに結婚式を挙げようと考えていました。

わたしたちにとっての結婚式、その目的は「両親への感謝を形にする」こと。

結婚というハレの日に、お世話になった親戚や友人の前で「ありがとうね」と伝えたい。文字にするとなんてことないのですが、最初に目的をハッキリとさせたことで、ダンドリを考えたりコンテンツを決めたりするときに迷いなく進めることができました。逆を言えば、一般的な通例であっても、自分たちの目的には沿わないと思うことはバシバシ省いていくことができました。


たとえば、


【やる】
・それぞれの親に役割をもってもらう(ベールオフ・バージンロードを歩く・乾杯の音頭など)
・花束贈呈、新婦からの手紙は照れずにやる
・締めの挨拶は父親ではなく新郎が喋る
・家族写真をきちんと撮っておく


【やらない】
・親からの出資(ただし、たくさんサポートしてもらいました)
・新郎新婦と両家の親が並んでお見送り
・親だけが付き合いのある客を招く
・友人だけで盛り上がるような二次会


など。


(↑手紙〜花束贈呈はきちんとやっておいてよかった)


「慣例ではこうだから」「これは一応やっておいた方がいい」というしがらみがなく、ニュートラルな地平から組み立てていけることの自由さといったら!


わたしたちの場合は、自分たちがホストで、お互いの親がいちばんのゲスト。幸い、世間一般的な「両家の結婚」という発想が一切無いところからスタートできたのは、親や家族の理解があってこそ。おそらく、ほぼ他のゲストと同じくらい、当日になるまで知らないことだらけの結婚式だったのではないかと思います。当然、招待状の送り主はわたしたちふたりの連名。実は親にも招待状を送っています。日取りも会場も招待客もドレスも食事も引出物も何もかも、親にはほぼ事後報告(もちろん決定の一歩手前で相談していますが)。お互いの両親にとって息子・娘のはじめての結婚式だったので、もうちょっと中心に関わりたいという思いもあったかもしれないけれども、「あなたたちのことだから」と手放しで信用して見守ってくれたことに本当に感謝しています。結婚式でこれまでの感謝の気もちを形にしたはずが、また大きな感謝が増えてしまったというわけです。

(↑パパハタリ、手なんて見ちゃってどうしたの)

【連載:wedding001/序】 わたしたちの結婚式について

2010年10月16日、よく晴れた秋の日。兵庫県の塩屋という海沿いを見下ろす丘に建つ築百年の洋館で、わたしたちはわたしたちの結婚式を挙げました。

結婚式のことは、きちんと書き残しておこうと思っていました。
それはそれは、とてもすてきな一日だったから。結婚式というものが持つ先天的なハピネス(祝福される人と祝福する人が集う)はさておき、実は、わたしたちが満足している理由はもうすこし別のところにもあります。それは、世にある数多の結婚式の中から、他のどれでもない「わたしたちらしい」場を、わたしたちで生み出すことができたという充実感。それは結婚式や宴の最中にも、幸福な実感としてずっとついてまわっていました。ふたりで「結婚式を挙げよう」と決めた最初の瞬間から、一貫してブレ無く最後までやり遂げられたことに、こころの中でガッツポーズ。



勝因(ロマンチックなイメージとは無縁な言葉だけどね)は、


1 結婚式の目的とテーマがハッキリしていたから
2 わたしたちに無理のない、わたしたちらしい方法を、わたしたちで考えたから
3 まわりのひとたちに恵まれたから



わたしたちが挙げた結婚式は、わたしたちにとってベストだったと自信をもって言えるけれども、人によってはまったく違うスタイルの方が合っていることもあります。ただ、たとえばこれから結婚式を挙げようとしていて、既存のスタイルに違和感を覚えていて「わたしたち」という起点で考えたいなと思っているひとに、あるいはすこしだけフレキシブルなアイディアを探しているひとに、もしかしたら役に立つあれこれもあるかもしれません。

挙式やパーティのダンドリや進行表も、司会台本も、背景に流れる音楽のセレクトも、ドリンクの手配も、当日の朝にケーキや花を載せて大きなハイエースで運転するにいたるまで、お互いにイベントやライヴの企画進行を今まで手がけてきたガテン気質の器用貧乏ゆえに、結婚式当日の明け方まで作業していたというハードな舞台裏。


せっかくなので、ドレスや衣裳やお花、お料理やケーキ、引出物や引菓子、招待状や当日配ったしおりなど、自分たちが納得いくまで選んだり作ったりした物事についても具体的に触れていきたいと思います。

「書く仕事」と「書きたいという欲求」のあいだで

この一年半の間、しばらくモハキハ(カレー屋)稼業を優先してきて、これからもしばらくはモハキハがミスハタリの人生の三分の一ほどを占めるのはまちがいないのだけれども、「書く」ことを怠けてはいけない。それは私にとって、「知る」ことや「出す」こと、「好きになること」と「惚れてもらうこと」とも同義であるところ。

欲求に正直であれ。カレーくさい厨房と猫が寝転ぶ台所を愛しながら、日々の生活と交わりながら、私はやっぱり「書く」のでしょう。

と、ひとまず、店のことを優先してずいぶん長く放ったらかしだったこの「ミスハタリの冒険と計算」にあらためて火を入れていこう、と、秋のはじまりの高く澄んだ空を見上げながら、高らかに宣言したいと思います。

再始動企画としてひとつ。もうすぐ一年が過ぎようとしている、昨年秋に挙げた結婚式。ミュージシャンと編集者が、周囲のプロフェッショナルな友人たちの親切に助けられて手作りできた結婚式について、回想と解説をしていけたらいいなと考えています。


(↑挙式リハーサル中)

プロフェッショナルな友人たちの紹介はもとより、「これから結婚式を挙げようと思っているのだけど、手作りってどういうことだろう」「お決まりじゃなくて、もうちょっとフレキシブルなアイディアはないかな」という方の手助けになるような文章を残せたらと考えています。

大阪の冬と「えべっさん」

一月は晴れた日ばかりつづく。

大阪では東京よりも「北海道出身」というのがすこし珍しいみたいで、わたしの服装を見るたびに人は「さすが北国生まれはちがう」と言ってくれるけれど、薄着なのは自分のからだの代謝を怠けさせないためだけのハナシ。大阪の冬だってとうぜん寒い。乾いた北風は風景から水分を奪っていき、日陰に入れば驚くほどしんと冷えている。わたしはこちらの冬のことを、内心「情け容赦ない寒さだ」と思っている。なんというか、晦日一杯のかけそばを分け合うことになった顛末がわかるというか、扉や窓のすきまから不躾に家の中まで入りこんできて生活を責めるような、人情に薄いものとでも言おうか。雪国では、もちろん大雪は暮らしの幅を制限するし、連日の重たいくもり空は鬱屈とした気もちにさせるに十分だったりもする。しかし雪国(の都市部)では寒さはそれほど冷たいものではなかったように思う。それはわたしが雪国で暮らしていたのは子どものころで、今よりも体温も高く、頑丈で、あたたかい家と親や家族に守られていたからかもしれない。

と、そんなふうに言うと、大阪の冬がきらいなように思われるけれども、わたしは孤独ではないし、こちらの冬は「人情味の薄さ」に自覚的なのかどうか(いや、それは他所ものの勝手な見方だというのはわかっています)、「十日えびす」のように、にぎやかな催しがあって楽しい。

昨年の今ごろは大阪に移ってきたばかりで、「えべっさん」ということばを聞いたのもはじめてで、「東京で言う酉の市みたいなものかな」と想像していた。昨年は家人のライヴで東京に行っていたこともあって出かけられず、「笹持って商売繁盛祈願」と聞いてもいまいちピンと来ずにいた。

その後にモハキハも開店し今年は「モハキハ店主」としても、もちろん物書き稼業のハタリブックスとしても、今年一年の無事と商売繁盛を願うために、張りきって今宮戎神社へ。

難波のえべっさんは想像していた以上の大騒ぎで、みんな前のめり気味。さすが商人の国だけあるにぎやかさ。大混雑のなかで笹を受け取り、福娘のお嬢さんに御札や吉兆を付けてもらって大満足。さぁさ、えべっさん、今年一年どうぞよろしくお願いします。

情け容赦ない冷たい風を浴びながらも、わいわいと福を呼び込もうとしている境内や参道を歩きながら、大阪の冬に自分がなじみつつあることを感じた。大阪の町がもつエネルギーのようなものは、良くも悪くも欲望に正直なところに根ざしているように感じる。そんな俗世的なにぎわいがきらいじゃないってこと、実はすこし前から気づいている。

2010年から2011年のミスハタリ

あけましておめでとうございます。
鈍く曇った年末に一切の家事を諦めた分、年明けの晴天に誘われて窓を開けて新年早々の大掃除と大洗濯。そうだった、わたしの趣味は家事でした。

二〇一〇年のミスハタリは大阪暮らしの一年生。散歩をして町を知り、いままで旅先だった風景が生活の場になっていくさま。二月の寒い日、「旅と喫茶とカレーと日常 モハキハ」をしずかに開いたあのときから、谷町と玉造のあいだの穏やかな町を主な舞台に、たくさんの出会いがありました。新しい友だち、好きになったひと、わざわざ遠くから会いに来てくれたなじみの友人やお世話になった方々。みんなにどうもありがとう。

わたしは喫茶店のマスターにもスナックの名物ママにもほど遠い若輩者で、ただひたすらに野菜を刻んでカレーを煮込みコーヒーをまじめに淹れることしかできないけれど、それでもこの「モハキハ」が呼び込んでくれる空気感をぞんぶんに愛することはできます。よかったら、あそびにきてね。


旅と喫茶とカレーと日常 の お店 モハキハ

【住所】
大阪市天王寺区空堀町10-15 1階

【交通】
JR環状線 か 地下鉄長堀鶴見緑地線 の 玉造駅 から 徒歩5分くらい

【電話】
06.4967.9696(営業時間内のみ)

【営業時間】
月よう日〜水よう日 11:30〜19:00 L.O.
木よう日      11:30〜21:00 L.O.
◎木よう日の夜だけは「居酒屋モハキハ」として 21時まで営業しています

【定休日】
金・土・日よう日(「手織り教室 和田」が営業)

【メールでのおといあわせ】
info☆hataribooks.net(☆を@にかえてください)


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「Meets Regional 12月号」で梅佳代さんのインタヴューをしました

新宿を発ったバスが大阪駅に着いた冬の早朝から、この町で暮らすようになってもうすぐ一年が過ぎる。時間の流れが速いのか遅いのかはわからないけれど、密度でいえば濃く、気分でいえば幸福で、肌なじみでいえば想像していた以上にここの暮らしに親しんでいる。

大阪に来てさいしょの二ヶ月は専業散歩人、二月に店を開けてからは「モハキハ店主」の肩書きでスープ仕立てのカレーを煮込んだりコーヒーを淹れたりする日日が一年の大半を占めてきた。とはいえミスハタリのなりわいは、やっぱり「紙とペン」の仕事。雑誌の取材でもコラム記事でも、お店の惹句でも、自分の結婚パーティの招待状や台本書きでも、なんでもやっぱりとってもたのしい。


浅利芙美名義、ミスハタリのライターとしてのお仕事をひとつご紹介しましょう。本日発売の「Meets Regional 12月号」で、フォトグラファー梅佳代さんのインタヴュー記事を書きました。

夏に発売された新作写真集『Umep』発売と展覧会「ウメップ:シャッターチャンス祭り」(東京表参道ヒルズ/大阪HEP HALL)のタイミングでの取材。梅佳代さんは奇抜でも不思議でもなく、実に正直で、フラットなコミュニケーションをとる人。無防備なくらい素直なところと鋭角な自己主張を併せ持っていて、それは能登の田舎で育った恩恵なのではないかしらと感じました。それは作品にもよく現われているようで、あらためて彼女が撮った写真群を見てみると、なぜこんな写真を撮るのか(そういうチャンスに出会えるのか、あるいは、なぜこの瞬間にキャメラを構えていたのか)というひみつが垣間見られるような気がするのでした。お会いする前は興味がある反面、取材する側としてはやや不安だったところもありましたが、実際にお会いして話したことで好きになりました。魅力ある面白い方でした。

ウメップ

ウメップ

うめかよさん、高校が宇出津だったんですよね? 「えっ、なんで『うしつ』って読めるの?」。わたし、能登を旅して宇出津の民宿に泊まったことがあるからです。「えーっ」。くじら、食べましたもん。(→ ☆ 2009/05/06 「新版ミスハタリの北陸旅 3 能登、くじらをめぐる冒険」


Meets Regional」は京阪神エルマガジン社発行の関西ローカルマガジン。今月号の特集は「まいど! 居酒屋」。やたらに濃くて些末な京阪神取材網と、ごった煮のようなサブカルチャー連載陣、関西発信の情報文化を作っている月刊誌です。東京で暮らしていたころはあまりなじみがなかったけれど、こちらの町に来てからは、モハキハとしても(ミーツ別冊カレー本や雑誌「SAVVY」でモハキハをご紹介いただきました)、ミスハタリの個人的な生活としても、いろいろな面でお世話になっている雑誌です。

実は「Meets Regional 10月号」でも、エリザ・ドゥシュクさんという女優のインタヴュー取材記事も書かせていただいていました。


どちらも巻末に近いページ「ミーツなひとびと。」というコーナーでの取材。テーマコラムや原稿書きのお仕事も好きだけれど、こうして誰かに会える取材のお仕事もまた楽しいものです。見知らぬ町でとつぜんモハキハをはじめてから、お客さまや同業の方など、いろいろな方に出会うようになったこともあるからか、さいきんことのほかインタヴュー仕事がたのしいです。わたし自身、フラットになってきたということなのかしら。