物語るチューバ 高岡大祐ソロ

数年前、とても好きなデュオがあって、ライヴのたびにできるだけ追いかけていたのだけど、そのデュオは一昨年解消した。彼らの活動はそのデュオだけではなかったので、二人はその後もそれぞれのバンドやソロで音楽生活を続けている。時を同じくして、わたしの足が客席から遠のいてしまったので、チューバ吹きの高岡大祐さんの演奏を観るのはすいぶん久しぶりだった。

低音が好きだ、というのは自分でも説明のつかない嗜好で、ついつい低音を奏でる楽器に耳が傾くのは性癖のようなものかもしれない。ファンキーなベース、轟きのようなチューバ、低く歌うバリトンサックス、穏やかな手つきで撫でていくバスクラリネット、最初に耳が行くのはその音域。

しかし、その「性癖」だけでは解せないのが音楽だ。高岡さんのチューバソロを観たのはいつ以来だろう。いつか、件のデュオのベーシストが遅刻したとき、第一部をチューバだけで演奏したことがあった。そのときは、挑戦する音楽、という印象だった。チューバという楽器ではふつう演奏しないような奏法を編み出し、延々とつづく循環呼吸で音を引き出していく。それは他のチューバ奏者をまったく知らなかったわたしにとっても、新鮮で面白いものであった、が、何より印象的だったのは、「こんなことやっちゃうもんね!」というヤンチャぶりだったように思い出す。

それから時が過ぎ、たくさんの旅がつづいた。この一、二年の彼の音楽を観ていないわたしには相対も絶対も評価できず、ただ印象と感想にすぎないのだけど、しばらくぶりに観た彼は雄弁なストーリーテラーのようだった。「どう、すごいでしょ?」とヤンチャに問うのではなく、目の前の観客に物語を聴かせてみせるようなパフォーマンス。今まで見てきた、というより、彼自身が体験してきた旅の記録を編集したフィルムがジーッと音を立てて回りだす、そんな光景。ここ最近は、そのパワフルなプレイから、よく「命を削る演奏」と評されているらしい。演奏者がストイックなことはひとつの表現として上等、でもそれを客席にまで押し付けるとしたらちょっと違うんじゃないかなあと考えていたところ、実際に観たパフォーマンスは、押し付けがましさはなく、むしろ「生命力あふれる演奏」という印象だった。いろいろな風景を身体で感じてきた人の、やさしい口承芸能だと、そう思った。渋谷のあるバーにて。

【高岡大祐】 http://www.dareyanen.com/takaoka/