代々木公園〜日比谷野音 夏の扉

七月五日、土曜日。午前五時に目が覚める。早起きにもほどがある。暑い一日になりそうなので、そのままふとんから転がり出て、全力疾走の家事タイム。洗濯機をまわし、水まわりとガスコンロのふきそうじ、草花の水遣り、そうじ機、もう一度洗濯機をまわし、風呂そうじ、台所の床まで磨いた。こういうときに、学生時代に中教室で受けた考古学概論で教授がしきりに口にしていた「定住インパクト」という言葉を思い出す。古代、遊牧民は一定期間、同じ場所に留まって暮らした。暫定的とはいえ家を造り、動物を放し、そこで生活をはじめる。安全と安心と安定が生まれる。と同時に、一箇所に留まることにより、生活の汚物が積み重なり、動物たちは辺りの草を食べつくす。生活の負荷。これが「定住インパクト」だ。そしていよいよ手に負えなくなると、彼らは安全も安心も安定も捨てて、新たな場所へと移動するのだという。無責任というか、後片付けをしないひとたちだったんだなあと、講義を受けていた学生のわたしは思ったものだ。この「定住インパクト」が学問的に認められている言葉なのか、それとも教授独自のものだったのかは、わたしの勉強不足でいまだよくわからない。

杉並ハタリハウスも定住開始から一年半が過ぎた、たまに仕事部屋を台所と勘違いするひとがいるけれど、この部屋はあくまで仕事部屋であるべきだと、換気扇の油汚れを雑巾で拭いながら誓う。定住インパクトと共存しながらも、いつだって、遊牧民の心意気で生きていたい。

昼すぎに、同じ名前の女の子と五年ぶりの再会。「来週末に代々木公園にあそびにいきませんか。フラダンスが観たいんです」という一見唐突なお誘いは、カフェや居酒屋で向き合うよりも、気が利いたデートの方法だ。「ハタリさん、おかしいです、五年前よりずいぶん若返っている」。その言葉、素直にありがたく頂戴します。彼女は五年のあいだにすっかり凛々しい「阿波踊り」の踊り手になっていた。おでこを出してキュッとまとめた黒髪に、白い法被がよく似合いそう。ちなみに今夏の「東京高円寺阿波おどり」は八月二十三(土)、二十四(日)。その日の代々木公園は「アースガーデン」というイベントが開催されていて、日かげでタコライスを食べ、Sandiiのライヴをすこしだけ見て、パノラマ・スティール・オーケストラがワークショップをしているのをちらりと眺めたところで、湿度の高さと暑さで目まいがしてきたので、ピクニック終了。こんな暑い日はビール、ビール、ビールよね、と唱えながら時間はすぎ、夜半になってようやく冷たい一杯。ほうっと気を緩める間もなく、宮益坂を駆け下り、終電車にとび乗った。

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七月六日、日曜日。午前十一時からバレエレッスン。先週よりも今日、すこしずつだけれども、からだの可動域が広がっていることがうれしい。午後、友人と宇田川町のカフェ139(cent trente-neuf)。ボリュームたっぷりのパテとサラダのランチ。ここはNid系列のカフェで、店の調度類もスタッフの接客も落ち着きがあって好き(宮益坂上のQuatre Cafeもケーキがおいしいので好きだ!)。美人ちゃんとワインを飲んだり、ケーキを食べたり、仕事や男の子の話をするには、なかなかここちよいスペース。宇田川町エリアといえば、もちろん猫が気ままにすごしている喫茶「3・4」も好きだけどね。

午後三時すぎ、地下鉄で日比谷公園へ。野音にて「World Beat 2008」というライヴイベント。くもり空の下でじっとりと汗がにじむ。こんな日はビール、ビール、やっぱりビールよねと唱えながらも、ひとりで赤ら顔になるには恥も外聞も気にするお年頃なのでがまん。渋さ知らズサウンドチェック、ひさびさに「ライディーン」を演奏していたのが面白かった。サウンドチェックと本番の境目はゆるやかに、渋さ知らズのライヴがはじまる。オーケストラを観るのはひさしぶり。四十分間という短い間だったけれど楽しい構成だった。渡部さんのMCも冴えていたなあ。

その後、ベルギーのバンド「THINK OF ONE with CAMPING SHAAB」(THINK OF ONEとモロッコのミュージシャンの融合体)を観て、そういえばベルギーでブッキングの世話をしてくれたのが当時彼らのマネージャーの女性だったなあ、とても丁寧なメールをくれる細やかな人で、あの旅で会えるのをたのしみにしていた人のうちのひとりだったのだけど、彼女の事情で急遽会えなかったのが残念だった。またいつかベルギーに行くことがあったら、今度こそゆっくりと町を散歩してみたい。数日間滞在したリエージュの町の記憶はさまざまあるけれど、最初に訪れたゲントは真夜中に入って真夜中に抜け出た滞在約二十四時間、しかもわたしはほとんどホール内を走り回っていただけだから町のことなど覚えていないのだ。それでも真夜中に飲んだビールは、日本で飲むビールの三倍ぐらい味が濃くて驚いたなあ、とか、そんなことを淡々と思い出しつつプログレッシヴな音を聴いた。はじめて聴いたモロッコの音楽、増幅していくような声がとても気持ちよかった。モロッコにいたっては、そこがどんな場所なのかわたしには想像もできない。世界はまだ見ぬ風景であふれている。

「カレーがあるよ」という誘い文句につられてバックステージへ。渋さ、THINK OF ONE with CAMPING SHAAB、BALKAN BEAT BOXの三組(しかもみんなそこそこ大所帯で外見も暑苦しい)が集まっていた。渋さ知らズは明日からカナダツアー。「いつもの旅の長さに比べたら、九日間なんてバカンスみたいなもんだね」。舞台裏は外国の匂いがしていて、たくさんのミュージシャンやスタッフで賑わい、ダンサーたちはメイクを重ね、青健さんが舞踏家の白塗りの身体にペインティングを施していて、たばこを吸っているひと、お酒をのんでいるひと、真面目な打合せをしているひと、ダジャレで笑っているひと、さまざまなシーンがごった煮になっていた。さながら海外ツアーの現場のようだった。渋さ知らズの楽屋は世界のどこにいってもたいてい同じような雰囲気だ。それが好きでもあり、一時期は苦手でもあった。ひさしぶりにその場に居合わせて、なつかしい肌触りを覚えながらも、いまが確実に二〇〇八年であることを改めて感じた。時間は過ぎる。淡々と。

BALKAN BEAT BOXの終演後、ステージでは三組入り混じっての大団円アンコール。梅雨のさなかの夏日に加えて、照明の熱と人いきれでステージの上は汗まみれだった。いろんなひとから「ステージ上は暑い、熱い」と聞いていたけれど、本当に蒸し風呂みたいで、ちょっと跳ねたり回ったりしただけで、汗だくになってしまった。日本にやってきたミュージシャンにとっては旅の一部で、これから旅立つミュージシャンにとっては壮行会のようなにぎやかな時間。タンバリンを打ち付けた腿が青あざになるのは、その翌日、渋さ知らズというバンドがカナダへ旅立ったあとのことでした。


夏の扉が開いた、そんなウィークエンド。足元の「定住インパクト」に飽き飽きしたら、そろそろ旅に出るべき時期なのかもしれません。