htr2003-06-25

「ああ幸福な他人の眼。自分のものを創造するために気違いになることが誰にもできるものなら。気違いになれずにいながら、さも気違いらしく振舞わねばならぬことの苦しさ、苦しさ。その高校生もやがて気付くに違いない。自分を駆り立てているものが芸術への衝動や欲求ではなくて、青春の苛立ちに過ぎないということに。青春を過ぎた時、はじめて気付くだろうが、もう取返しはつかないのだ。いまさらほかの道を歩きはじめることはできない。色褪せた心にもない道を、自分の影だけをみつめて歩くことの空しさ。いまに知るがいい。もともと狂気とは無縁の十把一からげの男や女が愛もなく苦悩もない無色の曠野から脱出する手だてとして、胸底からみみっちい旗をとりだし、口笛吹きながらするすると揚げたまでの話」

「そもそもの間違いは、私が芝居への熱意と彼への愛を一つにまとめてしまったことにあるらしい。本来混り合うわけのないものを、自分の中で同一化しようと計ったために、どちらもいい加減な姿しか見せなくなってしまったのだ。今こそ本当のことをいおう。私は何も愛してなんかいなかったのです。男も芝居も」

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井上光晴『心優しき叛逆者たち』(新潮社)は下巻に突入。グルーヴ感ある文章にグイグイ引っ張られていく感じ。登場しては消えていく若者達の悶々とした心意気が諦めに収束する時、わたしたちはどうしてそこに共感を見出そうとするのか。わたしはわたしの気が知れない。