htr2003-08-21

朝顔部月報。ようやく赤い花がふたつ咲きました。飼育方法が甘かったため行灯の上段がジャングルのよう。鋏を入れて風通しをよくする。ベランダ園芸はとても愉しい。帰りみち、我がアパートを眺めると月光に茄子のシルエットが浮かび上がっていたりすると得意な気持になる。安いよろこび。

座頭市』ばかり観ていてほかの映画を観られずにいます。好きだなと思える映画ならなおさらのこと、映画は繰り返し観てはじめてわかることが多い。一回きりで知った顔するのはあまりにもったいない。観客は観客であることに甘んじているかぎり観客にすぎないのだから。暴力夫に悩まされ辛い日日を送るミア・ファロウが映画館に通いつめて何度も何度も同じ映画を観ているうちに、スクリーンの向こうからヒーローが彼女を迎えに来て一騒動、という心あたたまる映画がありました。自分が映画のなかに入っていくことができるなんて考え方は傲慢極まりなく、映画がこちらの純粋な情熱を迎え入れるのは奇跡ではなくごく稀に起り得る必然なのだと感動したのは三年前の午前五時。明け方のゴミステーションを荒らすカラスの鳴き声さえ祝福の言葉にきこえたのだ。
その映画はウディ・アレンの『カイロの紫のバラ』(1985/米)といい、八十年代ウディ・アレン映画のなかで『私の中のもう一人の私』と並列に好きな作品です。

淀川先生は『駅馬車』を三十八回観ても感動して泣いていたんですって!(三十九回だったか、うろおぼえ)