きのうこと。吉祥寺バウスシアターで『アイデン&ティティ』。友人が酒の席で意気投合したという男の子からチケットをいただいて男女五人で鑑賞。グッ、グループで映画デートって、なんだこれ中学生日記かよ…と思ったのは最初の三分だけですぐに映画に集中。ひじょうに優秀なよくできたストーリー運びと安定した映像。やや安定しすぎたきらいもあるが言葉の端々までまったく正しい青春映画としてたのしめた。クライマックスが多すぎる。オーケン、石川さん、人間椅子宮尾すすむと日本の社長氏神一番などが出てきた。音楽は大友良英さんや遠藤賢司さん。「やりてえ」と「すみません」が交錯する男の子の世界。観終えてからハモニカキッチン。解散後、酒が足りず友人とふたりで二本向こうの路地へ移動。昨晩はカウンタのなかにいた店で串をさかなに梅酒のお湯割り。昨日も話した常連客と同じような話をしてから帰宅。

きょうのこと。日比谷シャンテシネで『10ミニッツ・オールダー』の「イデアの森(チェロ篇)』。一時間観るとしたら、ゴダールの『Dans Le Noir Du Temps』を六回繰り返し、ベルトリッチの最初の一分(トラックの荷台に男たちがたくさん詰っていて、ドアが開いて視界が開けるところからはじまる、実に映画的なうつくしいオープニング)だけを観たいと思った。なぜ十分と意識した途端に「永遠」や「時」や「宇宙」という壮大な負担を背負い込むのだろう。しかしゴダールはいつでもゴダールだった。自身の『リア王』『メイド・イン・USA』ほか、また世界大戦の歴史映像アーカイヴから構成。ゴダールの、映画に対する真摯な愛が胸をうつ。ゴダールを語ることは誰にでもできるけど、いったい誰が彼の言葉を超えられるというのだろう。ゴダールの裏側にいる同士ミエヴィル?(でも彼女の監督作品となるとてんで駄目だ。たぶん彼女はゴダールに求められているということがきっと重要なのだとおもう)。わたしは美しく揺らぐ映像と端的な言葉に、『愛の世紀』のときと同じようにまたしてもじっと涙ぐんだのだった。劇場を出たら純喫茶日比谷が消えていた。