「マチェック」という店が気になっていた。大和町に暮らすあの娘とはじめて会った日、細くて急な階段に誘われてお茶をいただいたのが、高円寺のマチェックを訪ねたただ一度の機会だった。絵心のあるあの娘とわたしははじめましてのご挨拶がわりに、版画カレンダーと無益な情報だらけの新聞を交換した。ピンサロ街の合間のあの店にまた行こうと思いつつそのまま数ヶ月が過ぎて、わたしと彼女はすっかり仲良しになったかわりにお店は閉じてしまっていた(大和町の彼女は『座頭市映画手帖』で市っつぁんなどのイラストを書いてくれたさやかちゃんといいます)。本店はかつて浦和に、そして今は北浦和の古民家で営業していると知り、京浜東北線に乗った金曜の夜。屋根裏部屋にのぼる梯子のような急な階段のうえ、なつかしいおともだちの家みたいな匂いのする二階で、不破大輔さんのベースソロの演奏を観た。障子を取り外した二間つづきの部屋にお客さんがミッチリ座っていて、ベースがうなると窓ガラスが軋いで床が揺れた。前に観たソロとはまた違う、この場の雰囲気のせいなのかなんだかあたたかい音がした。わたしは演奏環境や場の構造で音に変化があるのに気付くほど敏感な耳を持っていないけれど、お客さんに小学生の女の子がひとりいたのがたのしい要素のうちのひとつだったのだと思う。旧い知り合いが多いふしぎな場所で、そうだ、あのかんじ、公民館の体育館で巡回映画を見たかんじ、ゴザのうえに体育座りして拍手したりして、そのかんじに似ていたような気がする。そんな、とてもいいライヴを遠い町で見た。

演奏は早い時間に終わり、その後、大衆娯楽や見世物関連のほしい本ばかりが並んでいる本棚から平岡正明さんの『平民芸術』(三一書房)を抜き出して読みながら豚生姜焼き定食をいただいた。とても厚い本で高くて買えないなあとずるずると見送っているうちに音信不通になって忘れかけていたところひさびさの感動の再会でメシがうまい。美空ひばり山口百恵の距離は十九キロ〜と読み込んでいたら、カウンタから「なんだっけ、あの、ほら、なんとかロイドのさー」という会話がきこえてきたので「ハロルド・ロイドです」と横入り。焼酎のお茶割りをのみながら常連の男の子ふたりと初対面にありがちな「故郷」「地域」「干支」「血液型」の会話と台風の話、それからいくらかの音楽と映画の話をした。

あくる朝、泥棒のようによその家を抜け出して知らない町を歩く。そして旧い付き合いのおねえちゃんのアパートに家無し子のように転がり込んだ。「いらっしゃい」「へへ」「まだ酔ってるの」「うん」「どうしたの」「なんだかすがすがしい朝だねえ」。半年振りのこのかんじ、この半年のあれやこれやにありがとうを言うわたしはとんだお人好しかもしれないけど、やっぱりどうもありがとさん。