htr2005-07-15

先日のこと。彼女が押入れの整頓をしていたら、黄色いリコーダーが出てきた。木造アパートの午前一時。彼女は黄色いリコーダーを吹きはじめた。わたしはテレビの裏からメロディオンを出して一緒に吹いた。彼女がメロディオンを、わたしがリコーダーを吹いたりもした。整理整頓の手はずいぶん長く止まったままだ。

彼女は春にこの町にやってきた。予定よりもたくさんの洋服と鞄と、そして猫のさかなさんと一緒に引っ越してきた。その直後にわたしは旅に出た。一ヵ月が過ぎた頃にはすっかりハタリハウスは違う表情をしていた。さかなさんは突然の共同生活者のわたしになかなかこころを許してくれず、手を出すとニャー!と怒った。十日のあいだ、わたしと彼女の生活はほとんど重なることもなく、わたしは昼すぎに起きて夕方に外出し、旅の準備で夜なべをして朝になるとようやく蒲団を敷いた。その一時間後に彼女は蒲団から起き出して、近所の公園でフェルト人形を売ったり散歩をしたり音楽をききにいったりめかぶを作る仕事をしたりしていた。六月、二度目の旅を終えて部屋に戻ってくると、ベランダの鉢植えが増えていた。さかなさんはあきらめに似た様子でわたしを迎え入れて、それからふたりと一匹の共同生活がはじまった。わたしたちはバナナと玉子を交換したり、寝床をリレーしたり、先月の家賃の算出に一緒に頭をなやませたりしている。部屋は狭いけれどふしぎと窮屈さがあまりない。たぶんどちらもここを寝床としか思っていないからだろう。一日中部屋にいるのは猫のさかなさんだけだ。

金曜日に栗コーダーカルテットをみにいくよ、という話をしていた直後に、つけっぱなしだったテレビからリコーダーの音が流れてきた。「あ、栗コーダー」、ひとりごとみたいな声に呼ばれて台所から戻ると、世界の車窓から、だったかなにかの番組の背景に「平和に生きる権利」が流れていた。めずらしくわたしたちは並んで座ってテレビを見た。

彼女とさかなさんは数日後この部屋を出て行く。洋服と鞄と本と椅子とさかなさんのトイレがダンボールに詰め込まれ、郵便屋さんが引き取りにくる。せまい部屋に隙間ができる。もともとの部屋の顔へと戻っていく。そして彼女と猫が出ていってすぐに、またわたしは旅に出る。今度ここに戻ってくるころにはきっと秋がはじまっている。

スターパインカフェで栗コーダーカルテットのライヴを観た。結成十周年記念のライヴDVDとライヴCDのレコ発。リコーダーや鍵盤ハーモニカやサックスやホルンやチューバやギター、ハーモニカに太鼓。うつくしいメロディ。夕方、彼女は自転車ででかけたまま家に戻ってこなかったのでわたしはひとりで出かけた。彼女がみたら気にいるかなどうかな、と思う音楽はいくつかあって、今夜もわたしはそんなことを考えた。思えばわたしたちはたぶん五回ほどしか会ったことがなかったのに、なんだかそんな具合で一緒に暮らしはじめたのだった。

男の子とふたりで暮らしたり、客人が身を寄せるのとはちがう、ふしぎな生活。さかなさんは部屋のなかの定位置に横になって部屋を眺めている。向かいの家のおばちゃんが、窓から身を乗り出したさかなさんを見上げて「美人さんねー」とほめてくれた。彼女とわたしはさかなさんを撫でながらとても誇らしい気持ちになった。