htr2005-09-13

夜半のハモニカ横丁でビールとお新香。恋焦がれていた塩さばはヤマだと言われて厚揚げ焼きに変更、富士そばでとろろそばをズズズーとすすりあげ憑物を払う。たかが二ヶ月の空白では目に見えてなにがかわるわけではなくて、もちろんドアの内側に溜め込まれた新聞紙面はせわしない様子だし、風呂に入ろうと蛇口をひねったところでガス供給が止められているわけだし、留守のあいだに大きな地震と台風がやって来ていたと置手紙で知り、残念ながら鉢植えがひとつ枯れていたりするのだけど、オレンジ色の電車で横断した東京の町はあいかわらず蒸してぬるい夜をやり過ごし、ただあきらかに季節がひとつ過ぎていた。五十日後のおばかチャンといえばやはりあいかわらずで、銭湯と豆腐に思いを募らせながら畳の上で寝返りをうっては寝言みたいなひとりごとばかり言っている。

あなたを喜ばすよなゆかいなみやげ話なんてうまくないけれど、あの、ロシアの平原を走る列車窓からみた夕暮れの素晴らしさをうまく伝えられたらいいなと思う。うすい灰色と穏やかな水色とやさしいオレンジ色を重なり合わせてはすこしずつ顔色をかえていく広い空は、多感な少女気取りの頃に夜と朝の境目を見たいだなんてぬかしていた幼稚さを紳士的に一蹴した素晴らしさだった。映画や写真集やいつかどこかで見たランドスケープではなくていま見つけてしまった風景だということ。おばかチャンは額をガラス窓にペッタリとくつけて一時間ほどじいっと見ていた。

ほしいものはいつも、こころを占領するような風景だった。肝心なものはなかなか見当たらないのが世の常だし、忘れられない事象なんてそうあるものでもない。都合四ヶ月の旅をして、とくにこの夏のあいだにみつけたものはたくさんあった。ロシアの夕暮れとイタリア海上の夜明け。早朝のモスクワ郊外で見た雲海、ぶどう畑のスプリンクラーに起きた虹、子供たちの歓声、スイス田舎のとうもろこし畑で立ち往生したトラクターの荷台から見上げた青空や、たくさんの町並み、たくさんの友人、いくつかの音楽。なにもかもがたしかにそこにあった物事なのに、きっとおばかチャンはいつか忘れる。ただ忘れちゃいけないのは無邪気さと幼稚さは全くの別物ということ。

渋さ知らズ・ヨーロッパツアー全行程が終了。この旅で交わった親切なひとゆかいなひと不機嫌なひとすてきなひと、そしてたくさんの出来事と音楽に感謝しています。どうもありがとうございます。