htr2005-11-20

なにやらせわしなくなってきたさいきんの近況報告。

その一、さいきん「何屋さん?」ときかれることが多いのだけれども、「お盆と笑顔ときどき文章」という説明をその場その場にあわせてつかいわけています。さいきんは商売の説明をするのがめんどうくさくなってきた。本当のことなんてなにも教えませんヨ。踏まなくていい試金石ばかりにつまづきながら人生の経験値を稼ぐ日日。わたしの仕事はミスハタリ、ただそれだけ。

その二、ゴダールの『アワーミュージック』を観た。ゴダールのリリカルなロジックのひとつひとつを理解できなくても、でもゴダールの姿勢はとてもすきだ。ここにきてひどく素直になったゴダール、政治の季節と愛の交歓を経て、ゴダールはとてもやさしくなった。オシャレ文脈で語られる60年代作品、ゴダール以外の要素が迷走した70年代作品、政治の80年代、映画史をはじめ膨大な書庫となった90年代、そして『愛の世紀』で迎えた素直なゴダールのあたたかさ。賢いひとからみればわたしは見当違いなのかもしれない。おばかちゃんが映画の途中に眠ってしまっても、そこにゴダールはあった。『NOTRE MUSIQUE』、アワーミュージック。「わたしたち」という一人称がやさしい。わたしとあなたとの、ヒアゼアの対話。

その三、江古田バディで「DOM FES in JAPAN」。副島輝人さんや梅津和時さん、宝示戸亮二さんらが企画したイベントで、ロシアはモスクワの「DOM Culture Center」の創始者ニコライ氏にささげるジャズ・フェスティバル。DOMにお世話になった日本のミュージシャンと、ロシアや韓国などのミュージシャンを迎えてのジャズフェス。渋さ知らズの今年の旅でも、DOMには二度寝泊りをさせてもらい、しかもウクライナのコクトベルの休日もアテンドしてくれたりと、旅のなかでも多くの日日を一緒にすごした。DOMからはニコライ・ドミトリエフ夫人のリューダさん、そしてDOMディレクターのナジャが来日。「キャー! ナジャー! ひさしぶりー」とまくしたてると彼女は「?」という顔。あ、日本語で喋っちゃった。「ごめんね、もう英語が出てこないのよー」とへたくそな英語で喋ると、ナジャは「you look like fresh」と笑った。昨年の準備期間からナジャには本当にたくさんたすけていただいた。ナジャはあの旅ではじめて会った異国のオーガナイザーであり、慣れない英語でのコミュニケーションでドギマギしていたおばかちゃんを辛抱強く相手してくれたすてきな女の子だ。列車のホームで「フミ、サマーラでは一日オフがあるんだから、あなたはとにかくゆっくり寝ること!」と手を握って言ってくれたり、顔をあわせるたびに「ちゃんと寝てる? 食べてる? 遊んでる?」と心配をしてくれたり、たくさんの面倒をかけてもニッコリ応えてくれたり、なにより渋さ知らズを本当に楽しんでくれていて、ライヴがはじまると最前列で踊りくるっているのがきまって彼女とDOMのメンバーだった。今夜もナジャはやはり最前列の席で踊りだした。渋さ知らズのライヴがはじまるとメンバーはナジャをステージに招き入れた。「股旅」の背後、スクリーンにはロシア旅の映像が流れていた。ロシアを訪れたのは四月と八月の二度、どちらもアクシデントの多い旅路だった。いろんなことを思い出そうとして思い出せないままツアー終了からゆうに二ヶ月がすぎ、わたしはいまだその着地点をみつけられずにいるのだけれど、こうして、あの旅と地続きの体験をするといまだこころがざわめく。「元気でよかった、あなたは強くなったし美しくなった、それは女の子にとって大事なことよ」と彼女は言った、本当のところはわからないけれど、わたしはやっぱりとてもうれしい。たくさんのスパシーバを!

その四、夕暮れ時に公園近くのいせやでいただいたすき焼き鍋がとても美味しかった! やっぱりあそこは肉屋なのね! こはだの酢の物食べている場合じゃなかった! 今冬の愉しみはすき焼きだ! ごちそうさまでした!

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わたしの、から、わたしたちの、へ。共同体意識なんて大嫌いだけど、利己の幅をすこしだけ広げればいいだけの話、奏でるのはわたしひとりでも鳴るのはきっとわたしたちの音楽。わたしたちの音楽とわたしたちの日日はつづく。