コーラスガールとスクリプトガール

Y氏の月曜映画誌講義

午後、渋谷にて、転覆しつつあった計画の打ち合わせ。もうすこし話(とわたしの作業)が進んだらきちんとご報告します。今年は夏にあそぶためにいまのうちに仕事をするのだ。夏? 夏は列車に乗るんです。

夜、目白学習院大にて山田宏一さんの映画誌講義。今週は「バスビー・バークレイとハリウッド・ミュージカルの誕生」。一九三〇年代のハリウッドで、豪華なセットに奇抜で大胆な衣裳を着せたコーラスガールたちを並べてのマスゲームのような壮大なレヴューを作り出した振付師、バスビー・バークレイ。眩いショーを真上から俯瞰する様子が「カレイドスコープ・シークエンス」とも称された通り、まさに万華鏡の中にきらめく夢のような美しさ。美女たちは踊り子というよりもゲームの駒のように動かされ、小気味よく鳴るタップの音は機械音のように聴こえてくる、そんな人工的な匂いもするけれど、その機械仕掛けのようなシステムも含めて、実に総合的で映画的なエンタテインメントになっている。ブロードウェイのバックステージを舞台にした『ゴールド・ディガース』や『ワンダー・バー』などのミュージカルシーンをいくつか鑑賞。バークレイは後に監督業にも進出するのだけど、きっと、衣裳や音楽や大道具や演出など、大掛かりな舞台の中のひとつのセクションとして「振付」を考えていたのではなく、とにかく全体像を見たいという欲望に突き動かされながらハリウッド・ミュージカルに関わっていたひとなんじゃないのだろうかと思う。その欲望が徹底しているからこそ、そのレヴューは美しく派手で魅惑的で、機械体操の精密さと、大勢のガールたちの匂い立つ華やかさを併せ持つ。

わたしはコーラスガールのひとりにもなりたいし、衣裳係にもなりたい。金づちを持って舞台を作りたいし、ショーの筋書きに頭を悩ませたりもしたい。やっぱり演出にも口を出したいし、聴こえてくるミュージックは身体を誘うゴキゲンなナンバーであってもらいたいし、舞台を照らす照明が夢のなかで見たような景色を作り出していたらいいなあと願う。だけどわたしの仕事は、いつでもペンとノートを抱えてひたすら「記録」することだ。記録をとりながらも、欲張りなわたしはなにかレヴューを作りたいと思っている。すべてを自分の手で作ろうとしたところで、望んでいるクオリティのものは得られないということは、志向技能裁量感性感情すべてを見渡したところで自覚している。それでもレヴューに対する欲望はいつも絶えない。欲望はいつでも徹底したものでなくてはいけない。スクリプトガールの見る夢はささやかな希望であってはならない、舞台裏で煮えたエゴを裏付ける徹底した欲望がないかぎり、それは子どものオネショみたいなものだ。