散歩する惑星 阿佐ヶ谷住宅再訪

阿佐ヶ谷に打ち合わせの用があったので、浜田山駅からバスに乗って出かける。ちょうど時間は暑さの頂、午後2時半。善福寺川緑地を過ぎたあたりのバス停で下りて、ひとつ角を曲がると、いきなり、集合自宅と緑に囲まれた「町」が広がる。

【阿佐ヶ谷住宅とは?】(とたんギャラリー「阿佐ヶ谷住宅日記」より)

数日前に散歩で訪れたとき(八月十三日の様子)は曇り空の夕暮れ、犬の散歩時間だった。クラリネットの練習曲、何重にもなった蝉の鳴き声。このあいだは耳で聴く散歩だった。

きょうの散歩は、もっとじっくり目でみる散歩。よく晴れた、暑い昼過ぎ。夏休み後半の小学生が、黒い腕をふりまわしながら広場であそんでいる時間帯。横並びのテラスハウスの二階には、洗濯物が干されていた。










消え行くものへの感傷ではなく、そこに根付いてきた「町」の頼もしさにしばし浸りながら散策をする。よそ者でしたかないわたしは観光者であり傍観者、ただの散歩好きの物見遊山にすぎない。でも、ふと思うのは、この「町」の今後のこと。大事な問題は、人が去り、これまでの建物が壊され、さら地になった先に、ここに新たに作られる「町」がどのような「町」となるかだ。

塀や柵はもちろん、道に信号もない、あらゆる「境界」がない阿佐ヶ谷住宅の敷地には、ガーデニングとも雑草とも言い切りにくい、「緑」が色濃く茂っていた。ふと、数年前、ワタリウム美術館で見た「庭」の美術展(思い出して調べてみたら、九十九年の「Empty Garden展」でした)を思い出した。ヨーゼフ・ボイスや島袋道浩らによる展示で、美術館の外、すこし歩いた先の空き地や、路地を曲がった先の地面も作品の場になっていた。ここでも、阿佐ヶ谷住宅でも、感じたのは、「緑」は機能になるということ。阿佐ヶ谷住宅では、緑が一種の間仕切りになっている。石塀や鉄柵の代わりではなく、木々や緑ならではのやり方で、家と家のあいだのプライベートな空気を区切り、木漏れ日の路をつくり、住民たちと散歩者をナビゲートする。阿佐ヶ谷住宅は、住宅建築だけではなく、その緑によるお仕事がとても気持ちよく活きている場所でもあるのだ。

新しい都市計画にはおそらくメリットもたくさんあるのだろうとは思う。でもこの五十年間そこに根付いてきたこの「町」を刷新するというのなら、新たな「生活と風景」を生み出さないといけないということ、誰もがそれはわかっていることでしょうね?