終わりのある住居 富士山荘

仕事場に行く電車のなかで、「婦人公論」の吊り広告。苦笑いするよな文字列を追っていくと、<泰淳・百合子の「武田山荘」を富士に還して 武田花>、なんですって。ややっ、と、その足で本屋に入って、ふだんさわらない類の雑誌をめくる。

「富士山荘」についての、花さんへのインタヴュー記事。花さんは「いざ壊すとき、感傷はありませんでした」と淡々と言ってのける。武田泰淳・百合子夫妻が暮らし、大岡昇平氏が、深沢七郎氏らが訪れた、富士山麓の別荘。泰淳の『富士』が生まれ、百合子さんの『富士日記』が生まれたのもここ。花さんが語るには、この家は父と母の住まいだったということ。ある日とつぜん寄宿舎に入れられ、たまに遊びにいっていた別荘は、父と母がいなければ機能しない住居だという。そして老朽化が進み、壊すことにしたのだという。その話の流れは至極真っ当だ。花さんが、感傷をこめて語っていないのが、とても正直で、欲がなく、好感がもてた。きっと、富士山荘は納得のいく終わりを迎えたのだろう。

その記事を読み終えて、数日前に訪れた「終わりを待つ」阿佐ヶ谷住宅のことをすこし考えた。住居が「終わり」を迎えるのは、住人が去ったときではないのかしら。そこに住む人の息遣いがあって、住居は生きる。住居から生活と魂が抜けたあとは、建物は朽ちるばかりだ。その点、何百年前からの遺跡というのは、すでに抜けてしまった魂を、辛抱強く模倣して再生させる作業をつづけているという、大変なものなのだろう。阿佐ヶ谷住宅には、そこに住む人がいて、たとえ全戸の窓に木材が打ち付けられても、まだしばらく魂が抜けそうもないような気配がするのだ。