秋日和

東京の九月の終わりは二日つづけて雨が降り、半袖で家を出たはずが帰りみちには長袖を着ているというあんばいとなった。日よう日の夜、渋谷まで映画を観にいこうと考えていたけれど、路線変更。秋だなあ、秋なのだなあ、とつぶやいて、小津安二郎監督の『秋日和』(一九六〇/東宝)を家のテレビで観る。

小津映画の秋というと、ほかにもたくさん作品はあるのだけど、『小早川家の秋』(一九六一/東宝)の、京都伏見の路地に残る夏から、秋のはじまりを告げる嵐山の川べりの道まで、人と季節の移ろいを静かに感じさせるこの映画がわたしはいっとう好きだ。好きな理由はほかにもいくつかあって、特に中村雁治郎のひょうひょうとした色男ぶりや、新珠三千代の涼しげに澄ました立ち姿、モダンガールの団令子の奇抜さなど、出てくる人々がとても魅力的なのだ。そのなかでも、印象的なのが原節子司葉子の義姉妹の会話。原節子がひとりで暮らすアパートで司葉子が控えめに相談をする姿といったら、じつに切ない。

このふたりが、『秋日和』では母子として登場する。司葉子は清潔で純粋な娘として、そして未亡人原節子はまだまだ美しい女でありながらも、静かに老い先をすこしずつ憂いはじめる大人の女性として描かれる。ふたりは会社帰りに待ち合わせをして一緒に映画を観、ショッピングをし、定食屋でごはんを食べ、並んで家に帰る。夫=父を亡くした家庭に周囲が心配するのは「年頃の娘の嫁入り」について。娘は言う、「わたし、好きなひとなんてないし、これからもずっとお母さんと暮らすつもりよ。それに、恋と結婚は別でもいいと思うの」。穏やかな母子関係の水面に石を投げ入れるのが、中年男三人衆(佐分利信中村伸郎、北竜二)の勝手な下心と厄介なお世話心。娘の縁談をかためるためには、まずはみんなのアイドルだった美しき未亡人の再婚を進めようと、勝手に画策。どうせ再婚させるならどこぞの馬の骨か知らん男はいやだなあ、と、仲間の男やもめとくっつけようと動きはじめた。もうただの男子学生時代の身勝手と一緒! 男たちの猥談のおかしさは、小津映画の大事な面白さ!

しかしこの映画の主役は実は、司葉子の友人役の岡田茉莉子嬢。存在感、スタイルとも、ほかの誰ともちがうふしぎな役割でスクリーンをひとり占めする。お嬢さんルックでよその会社に乗り込み、中年男三人衆にツカツカと詰め寄り、しどろもどろの男たちをチャッキリとした口調で締め上げる。和解したのちには寿司屋のカウンタでとぐろを巻いて男たちに説教。「このおじちゃまたち、いいトコあンじゃない」とオヤジを持ち上げ、「平山クン、本当に本当によ?」と厳しいジャブの応酬。クルクル回る駒のように忙しく動き、(当時の)現代っ子らしいあっさりとした物言いで風を起こし、大事なところでは江戸っ子らしい機微を見せてホロリと泣かせる。なんてキュートな女の子!

九月最後の夜に、ひとりで愉しんだ『秋日和』。伊香保温泉で語り合う母娘の夜に、ついつい泣いてしまったのもよい思い出。明日からは本格的にシーズンが変わるのだなと、この一ヵ月半の暑さ涼しさの忙しさを振り返りながら感じた雨の夜でした。

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