鬼頭哲ブラスバンド 「散歩と冒険」

鬼頭ブラスのホールコンサート「散歩と冒険」、たくさんのご来場ありがとうございました。一年前の「十月の絶唱」と同じ舞台ながら、また違った印象のステージとなったのではないでしょうか。新曲やアレンジ違いの十八番も披露、上空からは計算されたライティング、ステージ後方にはスクリーンを設置して会場前/休憩中には「散歩篇/冒険篇」のスライドショーを展開と、音楽以外の演出をすこし増やしてみました。演出については試行錯誤の成長期にあるのだけど、楽隊が出す音はずいぶんとたくましく、かつ柔軟になったと思う。演奏はもちろん、舞台裏の気分にも余裕があり、鬼頭哲トークもゆるゆる気味。来場者の七割近くが「初めて観た」というお客さんだったことに驚きつつも明るい未来を感じています。

以下、当日配布のプログラムにわたしが書いた「散歩と冒険」についての文章。

【なぜ「散歩と冒険」なのか】


近所の商店への近道。毎朝仕事に向かう道。高校の通学路。大学校舎へと伸びる急な坂道。大通りに架かる歩道橋。毎日、さまざまな目的と方法で通り過ぎているいつもの道。足元だけを見て、時計を気にして、足早に過ぎるのでは気づかないことが、ここにもたくさん溢れている。未知の舞台で危険と出遭うのだけが「冒険」ではない。いつもの町でも、新しい何かを見つけられる自分さえあれば、「冒険」はできる。近所には普段着の旅人が溢れ、僕らの日記は冒険譚にかわるだろう。

列車や車、飛行機や船に乗って遠くへ行く。山間の村や海辺の村、ときには言葉の通じない国へ。ひとはそれを旅や旅行と呼び、知らない場所での出来事を僕らはすぐに「冒険」と自慢したりする。ときにこの「冒険」は「観光」と同じ意味合いに成り下がることもある。何も発見できないくせに「冒険」だなんて!
知らない道をふらっと歩いてみる。そこに暮らすひとたちと話し、同じものを食べ、夜になれば眠り、朝になれば目を覚ます。そこで見えてくるものは、観光ガイドブックには載っていない風景のはずだ。まるで日常の延長のように、知らない町を「散歩」する。自分がわざわざ町に合わせる必要なんてない、景色を見ながら歩いているうちに県境や国境を越えてしまった、ただそれだけのこと。

「散歩」と「冒険」という相反するようなふたつの言葉は、実は、同じひとつの風景に出会うためのそれぞれの方法なのでは? という、問いかけ。


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本公演のタイトル、「散歩と冒険」。コンサートに芝居のようなタイトルを設けるのはあまりないことかもれません。「コンサート以上のなにかを創りだしたい」というのがこの企画意図のひとつです。音楽は耳で聴くものであると同時に、もっと大きなイメージを提案できるものではということを、鬼頭 哲 ブラスバンド の公演を企画するにあたっていつも考えています。単なる「音楽発表会」や「定期演奏会」で終わらないものを。音楽を創る人(作曲者)/音楽を表現する人(演奏者)からの一方通行ではなく、演奏された音楽がその場からさらに膨らんで、新たな物語を生み出していくことができないか。鬼頭 哲 ブラスバンド が表現する音楽には、いつもそんな希望を感じます。

鬼頭 哲 ブラスバンド の音楽には、「旅」「冒険」「散歩」というキーワードやイメージが多く用いられています。「ライドーン!」と汽笛を鳴らし、ここではないどこかへとこころを誘います。旅といっても、懇切丁寧なパッケージプランも、観光名所も名跡もありません。用意されているのは出発のチャンスと、行く先々での新しい風景。この短いコンサートの間にも、この円形舞台の内外で繰り広げられる「散歩」と「冒険」で、新しい風景を描くことができるのではないかと願っています。

次は12月に名古屋でライヴ、来年2月にはザムザ阿佐谷で公演を打ちます。よろしくどうぞ。

【鬼頭 哲 ブラスバンド】