時々自動コンサート「東京←→サバンナ」

日曜日は午前中からバレエレッスン。ストレッチでいろんな形に丸まったりのびたり、バーをつかんでフラフラよろけて、フロアでヨレヨレと踊って、主に骨盤と柔軟性のなさに容赦ない怒涛のダメ出しを受けながらも、ああっ、踊るって、やっぱりなんてたのしいんだ! という純粋な発見と快楽。約九〇分間のレッスンを終えると気が大きくなるのか、パルコでも流すかと店内を闊歩し、メリッサのサンダルはやっぱりかわいいなあ、でも昨年買ったウルトラエッジみたいに靴ずれとの闘いになるのかしら。なんて、スッキリした身体いっぱいに煩悩を満たしていたら、とつぜん携帯電話がフルフルと着信。編集者/高校の先輩であるスガワさんから「お久しぶりです。いまから三〇分で下北沢に来られません?」。下北沢ラ・カーニャでの「時々自動 コンサートVol.5 東京←→サバンナ」のチケットが余ったので、よかったら、という楽しげなお誘い。分不相応なショッピングはここでおしまい、おかげでメリッサのサンダルを買わずにすみました。

カレーパンを食べ歩きしながら駅南口から王将までの坂道を下っていたら、思いのほか早くついてしまい、カレーパン頬張ったままモゴモゴと「おしさひぶりでふ」。大人としてダメなあいさつ。

時々自動、実は未見だった。ニアミスは何度もあって、さかのぼれば雑誌編集者時代の演劇担当のときにだって観に行く機会もあったし、最近だと、神楽坂シアターイワトで二階堂和美さんのライヴを観たとき、同じシリーズの前回が時々自動公演だった。朝比奈尚行さんが出演していた「ティンゲル・グリム」(→その日のこと)を観たときにも、「時々自動、観たいなあ」と思っていた。身の回りのミュージシャンにも時々自動ファンは多く、朝比奈さんや今井次郎さんと一緒にステージに立ったりしている人も多い。しかし正直なところ、一九八五年創設というキャリアの長さと安定した活動ぶりから、いつか観られるだろうと甘く考えていたところもあったのだ。それはただの怠け者の言い訳で、ばかだなあ、いつまでたっても出会えやしないのだ。だからこういうとつぜんのタイミングは実にうれしいプレゼント。で、会場に入ったら、パーカッショニストの関根真理さんとバッタリ。そうだった、真理さんは「ティンゲル・グリム」にも楽隊で出ていたんだった。一緒になって最前列の丸椅子に座る。こういう偶然もゆかい。

「時々自動コンサート」は三部構成。一部はお芝居のようなパフォーマンスと演奏。スライドショーによるラジオドラマ仕立てからつながる「サバンナで落としたいのち」、それぞれゆかいでさみしくきらきらした音楽だった。あとメガネの青年・鈴木光介さんによる人形劇もうまいところを突いてきた。うまいといういか、ずるいよ! 二部は次郎さんによる「JIROX DOLLS SHOW」、ズルズルでマイペースな出し物。「細かいところを見てください」と観客に渡された双眼鏡は、ピントがちっともあわなくて裸眼で見たほうがくっきり見えた。見えない双眼鏡をのぞいて笑う観客もひとつの出し物みたい。三部は、これまでの音楽を一挙演奏。クラリネットが四本になったり、結構みなさん楽器の持ち替えが多い。柴田暦さんの歌声がとてものびやか。「フラミンゴのラップ」や「君好き50年」だとか、次郎さんが作る音楽はふしぎなくらいに自由だ。それはもちろん朝比奈さんがのせる言葉にも通じるのだけど。時々自動の世界というのを、はじめての観客であるわたしにまで、すんなりと伝えてくる、フニャフニャした強靭さがその舞台にはあった。

「メンバーが結構変わっているなあ」とスガワさん。九〇年代初期の時々自動のパフォーマンスを知っているスガワさんに、じゃあ今日と次回はきっとちがうんでしょうね、と問うと、「そりゃあちがうでしょうね」という答え。そうじゃなくちゃ、表現をしつづける理由はないものね。まったくもっての愚問でした。「茄子おやじ」で野菜カレーを食べながら、次の時々自動もぜひ見たいとつよく思う。

【時々自動】