誕生日の戒め/向田邦子さんのこと


ずいぶん長らく、表だっては書かないでおこうと思っていたことを、ちょっと書いてみようと思いついたのは、夜中の二時前のことだった。

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もうずいぶんと前の話。ママハタリが電話で「あんたみたいな本を読んだよ」と言った(→この日のこと【04/07/22】)。それは向田邦子さんの『眠る盃』というエッセイのなかの「女ひとり、真夜中に美容体操をするシルエットが影絵になって近所に丸見えだった」という内容の一篇だったのだけれども、母親というのはおそろしいもので、「向田邦子のエッセイや彼女の生きざまを記した本を読むと、なんだかあんたに似てるなあって思って」などと言う。向田邦子さんに憧れる文系女子は世の中にたくさんいて、きっとそのうちの大半が「似てるよね」と言われてまんざらでもない顔をしていたりするのだ。母が言ってくれていることはうれしくも、ひじょう申し訳ない気分になることだった。だって、わたしはまだ何も書いていないのだから。

その時分、二〇代前半のわたしは、映画や音楽を伝えるある雑誌の編集部にいた。十人もいない小さな編集部のなかでもっとも年若く、自慢できる知識や才能があるわけでもなく、ただのラッキーと体力自慢だけで入社したようなものだったから、丁稚奉公みたいな日々は長く続いたし、本を作るための雑用に昼も夜もなく追われていた。明け方までインタヴューのテープを起こしたなんてことはざらだったし、床の上に寝袋で転がっていたこともある。真夜中の富士そばかつ丼を食べたり、始発電車で居眠りをしたりもした。寝癖をニット帽で隠し、化粧なんてほとんどせず、くたくたのオールスターをはきつぶし、大きくて重たい入稿袋を抱えて地下鉄に揺られていた。一日に何度も編集部とデザイン事務所の間を往復して、先輩の指示で都内の至るところに原稿を受け取りにいった。あちこちに電話をしたり、写真や資料を探したり、それはもうさまざまな仕事をした。好きだった映画を自分の担当に結びつけられず、編集部内での自分の居場所を作るのにも難儀し、知識豊富な上司や先輩たちの前ではまともに話ができたためしがなかった。企画会議でコテンパンにやられるたびにガックリと落ち込み、何度も、お堀に身投げしようかしらとわりと本気で考えた。自分は何ができるのかがわからなかった。それでもわたしは自分の仕事をしたかった。自分でディレクションをして、ときに自分で文章を書きたかった。その壁は高かったけれど、うまく企画が通れば、会いたいひとに会って話を聞き、その文章を書くことができる。ときどきそんなことがあると、ほらね、と思い、励みになった。おもしろいひと、おもしろいお芝居、おもしろい音楽、おもしろい何か、それを探すのが楽しかった。雨の日も晴れの日も桜の日も雪の日も、そればかり考えていた。あの頃のわたしは仕事に恋をしていたし、仕事のことを恨んでもいた。「自分の仕事」をできるようになるために、はやく一人前にならなくてはと躍起になっていた。不遇なことも多々あったけれど、それはいま思い返すとけっして悪い時代ではなかった。

母が娘に向かって「向田邦子に似ている」と言ったとき、わたしは彼女のことをほとんど知らなかった。『寺内貫太郎一家』というドラマがあったこと、いくつものすぐれたエッセイを書き残したこと、男と女あるいは家庭の内外に関する小説をいくつか生み出したこと、そして五〇歳そこそこの若さで飛行機事故に遭って亡くなったということ。その程度だった。身内びいきか願望なのか、母が口にした「あなたみたい」という言葉をきっかけに『眠る盃』を読み『父の詫び状』を読んでぼうぜんとしたわたしは、その時点で母に抗議した。

世の中には、向田邦子さんのファンが本当にたくさんいる。それは作品のファンだけではなく、多くの場合、彼女の人となりのファンだ。去年の春、世田谷文学館で開催された「向田邦子 果敢なる生涯」展も、そういう熱心なファンでとても混みあっていた。その展示で見てこころに残ったものがいくつかある。二〇代のころにキャメラマンだった恋人が撮ったポートレイト、「秘めた恋」のこと、愛した猫についてのこと、癌がわかったあとの心の葛藤、山口瞳氏による弔辞原稿。それらのなかで、はっとしたのは、彼女の年表だった。

秘書として勤めていた最初の会社を辞め、雑誌「映画ストーリー」(雄鶏社)の編集者になったとき、彼女は二〇代前半だった。「映画ストーリー」時代の仕事ぶりは、同僚だった上野たま子さん編『向田邦子 映画の手帖――二十代の編集後記より』(徳間書店)などでのぞき見ることができる。ハードな記者仕事に加えて、映画人たちとの連日におよぶ酒宴。二〇代後半にはラジオやテレビの脚本を書きはじめ、寝る時間もない忙しさだったという。一日が短いと考えたから眠らなかった。とはいっても彼女は、杉並にある実家で家族とともに暮らし、毎朝家族と一緒に朝ごはんを食べ、妹弟の面倒も見て、忙しさを理由に何かを怠るということはなかった。誰かが起きている時間までは誰かの相手をした。抜け駆けができないひとだった。みんなが眠り、ようやく家のなかが静かになった明け方に、玄関に近いせまい部屋で机に向かって書きはじめたのだという。実妹の和子さんによる『向田邦子の恋文』(新潮社)などに、その時代の彼女の様子が(想像をまじえて)描かれている。ひとりの人間が、一日二十四時間をどう生きるかということが考えさせられる。

後年書かれたエッセイ『夜中の薔薇』(講談社)に収録されている「手袋をさがす」という一篇がある。いろんなひとに引用され、いろんな場に転用され、ある種の女性を励ましてきたことも多いという作品だ。「わたしのことだ」と自分をなぞらえる女性は多いと思う。でもそこにあるのは共感を求めている文章ではない。どちらかというと諦念ではないかと思う。「悔しい」を「口惜しい」と書く彼女の、反省でも後悔でもなく、逆に自慢でも優越でもなく、ただそうなってしまったことへの戸惑いとそれをこえた先の了解なのだろうなと感じた。夕暮れの満員電車のなかでその一篇を読みながら涙が出そうになった。わたしはきっと、向田邦子さんには似ていないだろう。だけど、そこから静かな叫びのようなものが聴こえてしまったのだ。向田邦子さんには似ていなくとも、その音を耳にしてしまう女のひとは、こんなふうに、あちこちにいるのだろう。

二〇代の頃の向田邦子さんは、きっとやりたくない仕事もたくさん受けていただろうし、自由のきかない仕事も多くあっただろうと思う。いわば「駆け出し」で、名前の出ない仕事もたくさんあったはずだ。そこでがんばれるかどうかは、生み続けるかどうかに尽きる。時間が足りないなら寝なきゃいいのよ、多少寝なくたって数日間なら死にはしないでしょ、そんなことを強がりではなく当たり前のように言っていた。その通りに二〇代から三〇代を駆け抜け、そのまま四〇代も颯爽と走りぬけ、たくさんの作品を生み、五〇代でポッと消えてしまった。

時間に追われ、結婚に至ることのない「秘めた恋」を支えに、家族の面倒を見て、悩んでいるひとがいれば助け舟を出し、ようやくみんなが穏やかに眠りについた夜中から明け方にかけての静かな時間に、たくさんのドラマを書いた。その作品の多くは今を暮らすわたしたちのこころをぎゅっととらえる。向田邦子さんが、はじめて署名原稿を執筆したのが三十二歳(一九六一年)のときだという。この頃から脚本家として自立することになる。それからの二〇年間で多くの豊かなドラマ脚本を書き、エッセイを書き、小説を書いた。同時に、猫を愛し、スポーツや趣味に興じ、きっといくつかの恋もしただろう。想像しかできないけれど、一所懸命なひとを三人束ねてもかなわないくらいの密度だったのではないかと思う。

三十二歳以降の約二〇年間、多くの作品をともにした演出家の久世光彦さんは向田さんについて語るように書いた著作がある。『触れもせで 向田邦子との二十年』(講談社)。それは、久世さんご自身の人柄やセンチメンタルで優しい視線もあって、とても気もちのよい一冊だ。三十歳を過ぎてもいまだ「手袋」を探している「戦友」に宛てたラブレター。正当な生き方をしたひとには、正当なまなざしが向けられる。きっとそういうものだ。

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読後の母は軽い気もちで言っただけかもしれないし、大そうなことは期待していないのかもしれない。でも、今春に一緒にすごした旅先でも母は同じことを再び言った。何かを強要するのではない、ただそう思っているだけなのだろう。来し方で余計な苦労をし、行く末のまるで見えない娘のことを、心配するでもなくプレッシャーをかけるでもなく、「いいかげんに結婚したら」ではなく「いいかげんに作りなさいヨ」という声をかけてくれる母親、そして家族にとても感謝をしている。その、のん気な体をした寛大さに甘えてはいけないとわかるくらいには、わたしは大人になった。

時間が足りないなら寝なきゃいいじゃない。答えがそこにあるかはわからないけれど、まずは寝ないことも試してみようと思うの。みんなが眠ったあとに、ペンを持ってこっそり修羅の顔をすることがそろそろ必要なんじゃないのかな。わたしは十年前の自分に恥じないような日日を過ごしているのかしら、そんなことを読み終えて重ねた本を眺めながら考える。


そして今年も六月二十三日がやってきて、わたしは三十二歳になった。新しい年の夜明けはひどい寝不足とともにはじまった。

眠る盃 (講談社文庫)

眠る盃 (講談社文庫)

新装版 父の詫び状 (文春文庫)

新装版 父の詫び状 (文春文庫)

向田邦子の恋文 (新潮文庫)

向田邦子の恋文 (新潮文庫)

向田邦子 映画の手帖―二十代の編集後記より

向田邦子 映画の手帖―二十代の編集後記より

【向田邦子文庫】