十二月の現状と野田凪さんのこと

ニットのポンチョでしのぐ冬。日によってタイツの色をかえ、すっかり古ぼけたお気に入りのブーツをはいて、華やぐ町をタッカタッカとあちこちひたすら歩きます。なかなか寒くならない十二月に油断しながら、多少のワインでおなかをくだしたり、朝の八時にシャンパンをあけたり、あいかわらずお酒に弱かったり、今年の出会いをふりかえったり、来年の仕事を前に気合を入れたりしています。小学生並みのイノセンス鉄道博物館にてあそび呆けた翌日は、ベロアのジャケットに着替えて、赤坂〜六本木〜乃木坂〜青山と打ち合わせ三本勝負。ミッドタウンのイルミネーションの下を歩く。

このエリアを歩いているとまるで自分がオシャレな仕事をしているかのような錯覚に陥るけれど、そんなことはまずなく、空いた時間に青山ブックセンターの店内をうろうろしながら、本と自分について考えてはすこし落ち込み、すこし前向きになる夕暮れ。わたしがこれからつくる本は、いったいどんな顔をして、どんな風体で、たとえばこの書店のどこにどうやって置かれるのだろう。そりゃもちろん、図々しくあつかましくありたい。

と、そのとき、平積みされたデザイン系雑誌の上に「野田凪さん追悼」のポップを見つけた。驚いた。亡くなっていたなんて。出版社勤務時代に一度、野田凪さんとお仕事をしたことがある。野田さんのクリエイティヴで大判のカレンダーを作ろう、その様子を誌面上で紹介しようという広告の仕事だった。二〇〇三年ころだったか、お会いした野田さんは小さな犬を抱きながら、オシャレな事務所で、いそがしそうに働いていた。細い身体と真面目な口調ときれいな事務所と、世に出されたクリエイションの数々と国内外での評価の高さ、それを目の前にして、一会社員でしかなく誇るものもなにも持たない当時のわたしはとてもびびっていたのだけれど、今年九月に三十四歳という若さで亡くなった野田さんはその当時は三十歳にもなっていなかったのだなと考えると、あらためてその仕事ぶりに感嘆する。ご冥福をお祈りします。ついでに、いままでこのことを知らずにいた自分の、その世界との離れぶりに驚き、そして反省する。いくらニュースが少なかったとはいえ、数ヶ月過ぎてから知るなんて、ひどい話だ。

わたしがいま、しなきゃいけないことは、余興でも恋でも運動でも酩酊でも労働でもなく、仕事だ。インプットとアウトプット、どちらも同じくらい大切で、どちらも同じくらい自分に足りないと痛感する十二月の夜。

【野田凪 宇宙カントリー】