マイ・ベスト・森繁

俳優の森繁久彌さんが亡くなった、九十六歳。近年スクリーンで見かけなくなっても、森繁という役者がこの現在にいるということに、いつもわたしたちは安心していた。それは一度でも、スクリーンの森繁に惚れてしまった映画ファンなら、それ以来ずっとそんな気もちでいたのではないかとおもう。森繁は、わたしたちが暮らすいまが、一九五〇年代から連なるユーモアと人情の延長線上にあるという安心を与えてくれていたんだ。

わたしにとっての「森繁」はやっぱり「森の石松」。一九五〇年代、ちょうど四十歳をすぎたばかりでのアタリ役、東宝時代のマキノ雅弘監督『次郎長三国志』シリーズで、清水次郎長一家の飛び道具として登場した森繁は、森繁と石松の境目がなくなるくらいに熱演し、それはそれは見事なものでした(当時、他の舞台に他の役で出演した森繁が登場したとたん、観客から「いよっ、石松!」という声がかかるくらいに)。軽やかな身のこなしと、啖呵を切るときの清々しさ、頬が緩むおとぼけと、恋をする男の無邪気さと静かな色気。

スクリーンの森繁はひとりの役者の芝居というより、誰かと絡むときに体温の交わりのようなものを生み出す。『夫婦善哉』で柳吉がお蝶に甘えて寄り添ったときに淡島千景から立ちのぼる諦念と色気。『次郎長三国志 第三部』で久慈あさみ演じるお仲さんと酒を酌み交わしながらのどを披露するときの、絡まりあう男と女の情(まあ、石松はふられてしまうんだけど)。あまりに味わい深い『次郎長三国志 第八部』での小政(水島道太郎)との小川のシーン、そしてその反復。『喜劇 とんかつ一代』での無茶苦茶に思えるすべてをまとめるゆかいな先生ぶり。その場に居合わせた役者とうまく交わり、目には見えない温度や湿度や空気をさりげなく生み出して画面上にふしぎな尾を引いていく、森繁マジックだ。

「JMDB」に掲載されている森繁久彌さんの映画出演作は、一九四二年『女優』から二〇〇四年『死に花』までの二百四十二作(→ ☆JMDB 森繁久彌)。そのなかでわたしが観たことのある森繁出演映画を引いてみる。

19. 1952.04.24 チャッカリ夫人とウッカリ夫人  新東宝
21. 1952.07.10 続チャッカリ夫人とウッカリ夫人 底抜けアベック三段とび  新東宝
30. 1953.01.09 次郎長三国志 第二部 次郎長初旅  東宝  ... 森の石松
36. 1953.06.03 次郎長三国志 第三部 次郎長と石松  東宝
37. 1953.06.23 次郎長三国志 第四部 勢揃い清水港  東宝
42. 1953.11.03 次郎長三国志 第五部 殴込み甲州路  東宝
43. 1953.12.15 次郎長三国志 第六部 旅がらす次郎長一家  東宝
44. 1954.01.03 次郎長三国志 第七部 初祝い清水港  東宝
49. 1954.06.08 次郎長三国志 第八部 海道一の暴れん坊  東宝
67. 1955.09.13 夫婦善哉  東宝  ... 維康柳吉
68. 1955.09.16 銀座二十四帖  日活  ... 歌とジョッキー
69. 1955.11.01 人生とんぼ返り  日活
103. 1958.07.12 喜劇 駅前旅館  東京映画  ... 生野次平(柊元旅館番頭)
111. 1959.01.03 社長太平記  東宝  ... 牧田庄太郎
114. 1959.03.15 続・社長太平記  東宝  ... 牧田庄太郎
132. 1961.01.09 縞の背広の親分衆  東京映画  ... 守野圭助
142. 1961.10.29 小早川家の秋  宝塚映画  ... 磯村英一郎
155. 1962.11.03 忠臣蔵 花の巻 雪の巻  東宝  ... 本陣主人・半兵衛
160. 1963.04.10 喜劇 とんかつ一代  東京映画  ... 五井久作
161. 1963.04.28 社長外遊記  東宝  ... 風間圭之助(社長)
162. 1963.05.29 続社長外遊記  東宝  ... 風間圭之助造
209. 1971.05.19 喜劇 女は男のふるさとヨ  松竹大船  ... 金沢
210. 1971.07.24 喜劇 女生きてます  松竹大船  ... 金沢
211. 1972.01.15 座頭市御用旅  東宝=勝プロ  ... 藤兵衛
212. 1972.02.05 喜劇 女売出します  松竹大船  ... 金沢

二百四十二本という多作を考えると、わたしが知っている森繁なんて実に少ない(たいていはたびたび観返してはいるのだれども)。

森繁がいなくなった日本では、いまたくさんの雨が降っている。たくさんの映画ファンと同じように、わたしもビデオ棚のなかからわたしの好きな森繁を呼びだそう。『夫婦善哉』も『縞の背広の親分衆』も『喜劇 とんかつ一代』も『座頭市御用旅』の森繁も好きだけれど、やっぱりわたしは『次郎長三国志 第八部 海道一の暴れん坊』だ。森繁演じる石松のヤンチャな旅路と、無垢な恋と、かわいいのろけと、「おらぁ、死なないよ、死ねねぇんだよ」と言いながら倒れる無念の最期に、そっと涙して雨の午後をすごすことにしましょう。

夫婦善哉 [DVD]

夫婦善哉 [DVD]

社長太平記 [DVD]

社長太平記 [DVD]

次郎長三国志―マキノ雅弘の世界

次郎長三国志―マキノ雅弘の世界