さよなら、ありがとう、いってきます 〜THE MICETEETHの「点と線」

代官山UNITにて、タワーレコード三十周年記念イベント「Love or Hate Night Vol.2」。昨年四月に解散を発表したTHE MICETEETH.が一夜限りの再結成、いわば解散後の「解散ライヴ」。フロアはぎゅうぎゅう詰めで、たくさんのひとがバンドの登場を心待ちにしていた。期待をあおるジングルと、過去の「No Music No Life」のコマーシャル映像が流れて、メンバーが登場し、楽器を構え、ライトが当たる。さいしょの音が鳴り、ライヴがはじまる。

1 Tomorrow More Than Words / 2 Sleep on Steps / 3 夜明けの小舟 / 4 ネモ / 5 Salvia / 6 霧の中 / 7 ゴメンネベティ / 8 レモンの花が咲いていた / 9 THE SKY BALL / 10 春のあぶく/ encore01 トルキッシュコルト / encore02 Rainbow Town

最初はびっくりするくらいに緊張していたステージも、「ネモ」あたりから雰囲気が緩んできた。アイコンタクト、ときどきもれる笑顔、何度も口にされる「ありがとう」。ていねいに演奏された十二曲。イントロが流れるたびにフロアから歓声があがっていた。ベスト盤のような演目に、長年(とくに初期)のファンはなつかしくうれしくかったのではないかとおもう。フロアでは、仲間に入りたそうな顔をした男の子が飛び跳ねている。じっと立っている女の子は恋をしているかのようなまなざし。

わたしがマイスティースの存在を知ったのはごく最近のこと(その顛末は→☆ 2009/12/01の日記)。そのときにはもうバンドは活動を休止していて、しばらくすると解散してしまった。それから何枚かのCDと映像をくりかえし再生し、どんな音楽か知りたいと思った、さわりたいと思った。音は記録として残るけれども、感情の記憶は薄れ、じょじょに消えていく。ときどき耳にする九年間の小噺やエピソードに、笑ったり、感心したりしてきた一年間。長い蜜月が終わり別れた恋人たちが、こっそりと恋ごころを持ちつづけ、いつかどこかで会うことがあるかなと期待しながらも、二度と人生を重ねることはないとわかっている、そんな感じに似ているのかしらなんて邪推したりしていた。

はじめて観たマイスティースは、想像していたとおりに「バンド」だった。わたし自身、個々のミュージシャンが集まってきて演奏するセッション型のパフォーマンスを観ることが多いからなのか、「The Miceteeth」の五人(金澤くん、和田くん、次松くん、藤井くん、森寺くん)の「九年間かけていっしょに育ってきたバンド」の姿は大家族の兄弟や近所の幼なじみ集団のように親しげなもので、音と感情がとても近いところでやりとりされているように感じられた。その生々しさがある一方、休止から解散後にかけて、それぞれに別の時間と音楽体験が流れていた事実があって、ずいぶん音楽的にも変化していたのだろう。外野から見てみれば、ドラマチックな舞台でもセンチメンタルな感情ばかりでもなく、実にちょうどいい時間と距離を経た「解散後の解散ライヴ」となっていたようにおもう。

青春と呼ばれる時代はとても短く、薄れ消えて、いつか必ず終わる。二十代は十年間でしかないし、三十歳になっても日日はつづいていく。マイスティースというバンドがあったということは事実で、けれども「さなかからかなたへ」、ひとりひとりはそこからすでに離れているということを実感できる場だった。別れはいつもセンチメンタルなだけではないのだ。だからきっと、解散後にこうして呼ばれる機会があって再結成し、照れくさそうに登場した彼らは、「さようなら」ではなく「行ってきます」と言いたかったんじゃないのかな。

この夜のライヴは、三月にライヴ盤『20100110』として、またベスト盤『WAS』がリリースになるそうです("I was The Miceteeth.")。撮影もしていましたね。
http://bls-act.co.jp/news/1283


個人的にはわたしはひらくくんのファンなので、ずっと彼のベースを追いかけていました。「ネモ」ではボトムラインというよりずんずん動いて歌っているし、ボーカルもホーンも添えられているようで、この曲は「ボトムスと乗っかり系」ではなくそれぞれのパートが中心に寄り集まったような構造をしているんだなと気づいたり。

「霧の中」の主役は、複雑なラインながらもゆったりとリズムをキープしていくベースなのじゃないかしらとあらためて感心したり。

アンコールの「トルキッシュコルト」の極太ベースと「Rainbow Town」の軽やかなベースには、やっぱりぎゅっとこころつかまれたり。何度も何度もライヴ映像で観ていたものだったので、体感できてうれしかった。大好きな曲「Elegato」もライヴで観たかったなんて言ってみたり。

やや重心低めな弾き方も、「ウリチパン郡」や「道路」などではひょうひょうと弾いていた(ように見えた)のとはまたちがう、ときどきギリギリいっぱいになる表情豊かな顔つきも、はじめて観るもので、きっとこのバンドでしか見せない姿なのだなあ。ずっと壁にかかっているのを眺めながらいつ出番がくるのかなとおもっていた洒落たハットをかぶって出てきた姿もね。

翌日、彼がこれからの自分と音楽について饒舌におしゃべりしていたのもうれしく、「解散ライヴなのに、ふしぎと、演奏しながら『ああ、もっとここはこうできる、今度はこうしよう』なんて思ってしまった。かつてではなく今だから、引き出しもやれることも増えて、どんどん欲が出てきて、そんなふうに考えていたんだろうな」というようなことを言っていて、それはなんて発展的なさようならなんだろう、とおもったのでした。そしてそれはきっと他の四人も同じなんじゃないのかなと想像しています。

おつかれさまでした、いってらっしゃい。