吉行淳之介『湿った空乾いた空』(新潮社)を読んだ。四十を過ぎてまだ海外に出かけたことがなかった吉行を、愛人がすべての手筈を整えて海の向こうに連れ出したのだ。家庭を捨て、女優で歌手の愛人MM(宮城まり子)と暮らしはじめた吉行は、愛人のことを「この女は女性という種族の特徴(可憐さ、やさしさ、馬鹿、嫉妬心、吝嗇、勘の良さ、逞しさ、非論理性、嘘をつくこと、すべての発想が自分を中心にして出てくること、など)を、すべて極端なまでに備えていた」と表している。パリ滞在中に吉行が下痢をして寝込んだとき(原因はフォアグラの缶詰のたべすぎ)、言葉の通じない土地にもかかわらずMは大きなズック袋をかかえて帰ってきた。「お粥をつくってあげるわ」。そうして取り出したのは電熱器と細長い形の米と鍋。吉行はその親切を大袈裟過ぎて押し付けがましいと鬱陶しく思う。吉行とMは喧嘩をよくするが、二人はなかなか離れない。それはMが先に挙げた「あまりに女性らしい女性」でありながら、その無謀で無防備な魅力に吉行が引き摺られている証拠だ。なにより吉行は、ハーレムのクラブで黒人たちの中心に立ちイニシアチブをとって踊る小さな日本人Mのその活発な行動力に驚く。自分が持ち得ない女の要素を不可侵なものとしておそれているようにも見えるのだ。男と女のあいだには深くて暗い溝がある。再びパリで、二人は痴話喧嘩をする。言い争いにうんざりしてフテ寝した吉行が目覚めたときに、Mはやさしい眼差しを向けて、「約束どおり、あたしは明日出発するわ」と言った。「娼婦の小説をいろいろ書いているのに、パリにきてそのまま帰ってはいけないわ」。そして千フランを残して愛人は帰る。男は素直に小遣いをもって女を買いに行く。

愛し合う男と女というのは、六割方わかりあえたらそれで万々歳なのかもしれません。