htr2003-07-10

頭は眠いが腹が苦しくて寝られないという午前三時の現状。鉄板の上で焼かれたモダン焼きはとうに消化されているはずなのに、いまだこの胃の膨らみは胃腸が消化機能を投げ出したあかしだ。足裏の消化器系反射区を南国の浜辺に打ち上げられたサンゴの先端で押しながら、今日観た映画のことを思い出す。新文芸坐の「成瀬巳喜男映画特集」もすでに佳境。『女の中にいる他人』(1966/東宝)は小林桂樹新珠三千代が夫婦役。とはいえ江分利満氏のように愉快な話ではなく、エドワード・アタイヤの『細い線』というミステリーを原作に翻案。マイホームにかわいい子供と暮す地味ながらも平穏な主婦の日日。しかしある日、親友の妻君(若林映子)と不義密通していた夫が、床の上の悪ふざけから相手を絞め殺してしまう。その秘密を打ち明けられたとき、妻は夫をかばおうと理解を示すが、妻は自分を家族を裏切った決して夫を許しはいない。ただ、もし夫が犯罪者となって牢獄に入ることになれば、残された子供たちの人生が台無しになることを怯えたために、「そんな秘密、忘れてしまいましょうよ」と説得するのだ。成瀬が描く女は一見しとやかで男からみれば「都合の良い女」のようだが、自分が守るべき領分に男が立ち入ってきたときには静かながらも頑なに抵抗反撃する。夫は妻に秘密を打ち明けたところで心の荷が軽くなったと妻に感謝するが、妻にしてみればえらい迷惑な話だ。魚顔の新珠三千代は白地の着物がよく似合う。その浴衣姿をみて、今度の土曜日はわたしも浴衣を着ることにきめた。土曜日の吉祥寺で薄群青色の浴衣に赤い博多帯をしめたわたしとすれ違ったら「ヨッ!」とひと声かけてくださいね。
二本目は『女が階段を上る時』(1960/東宝)。黒澤明作品などを手掛けた菊島隆三による脚本は、銀座の華やかな世界で迷走する雇われママ(高峰秀子)の不安定な女心をうまく描き出している。夫を交通事故で亡くして以来、水商売で生計を立てつつも決して客たちにからだも心も許さなかった女がしようのない現実に突き当たって堕落するとき、わたしたちはそれを昭和の予定調和だと笑い飛ばすことができるだろうか。自分で選んだ衣装(すばらしい縞着物の数々)を纏った高峰秀子の美しさ! 物語を急転させるきっかけとなる加東大介のエピソードには度肝を抜かれた。そこに至るまでの伏線も効果的で、スマートな物語運びは脚本の名仕事というほかなし。しかしいまいち興に乗りきれなかったのは、悲しみや切なさややりきれなさを引き立てるいつもの隙間的ユーモアに少し欠けていたからではないかしら。どうにも腑に落ちない気持がおしよせてきたところで、ガーゼ浴衣に着替えていいかげんにもうそろそろ寝ようとおもう。