古本屋の棚から井伏鱒二の『荻窪風土紀』(新潮社)を手にとって函から出してぱらぱらとめくってみると、色褪せた古新聞の切り抜きがはさまっていた。「きょうの天気」と「天声人語」と「大岡信折々のうた」。東京。北日中南の風晴時々曇、降水確率十パーセント。大島桜とそれにまつわる和歌のこと。加舎白雄、人恋し灯ともしころをさくらちる。この本の持ち主だった鴨下さん(扉ページに蔵書印がおしてあった)が何を覚えていようと思ってこの切り抜きを挟んだのかわからないけれど古本からは不意に春の匂いがたちのぼった。日付欄が残っていないから何時のことかわからないけれど、裏面の記事下広告から察するにまだ東京の電話番号に「三」が余計につく以前のことらしい。肝心の内容は荻窪に暮した井伏鱒二の自伝的な随筆なのだが、なんだかちょっと気分が良くなって確かめもせずにエイヤっと買った。