月曜日のこと。
Y氏の青山月曜映画史講座。二学期が始まった。久しぶりの授業はイタリア映画について。一時大戦以前に隆盛を誇ったスペクタクル史劇についてのお話。国内の遺跡を背景に利用した派手な史劇が年間五百本以上も作られていたという。ジュゼッペ・デ・リグオーロ『リヤ王』、エンリコ・ヴィダル『ポンペイ最後の日』、ジョヴァンニ・パストローネ『カビリア』、そしてその影響を受けたグリフィスの『イントレランス』など。二学期になって随分と学生が減った様子。相変わらず知らないことが多くてドキドキする。後ろに座っていた女の子たちは知らないことすらもわからないのかチープなお喋りに花を咲かせていた。


火曜日のこと。
成瀬巳喜男『あらくれ』を観ようとCSテレビを点けると、その前にふしぎな映像が流れた。学校の校庭にたくさんの人々(中年から年寄りばかり)が列をつくって歩いていて、据えられたキャメラの前を通る時に「○○○○です」「牧野村婦人会と申します」「うちの民宿をどうぞよろしく」などと照れながら自己紹介をしていく。帽子をとって頭を下げるひと、わざわざ立ち止まり揃って礼をするひとたち、「おつかれさまでした」と笑いかけるひと。すぐに、これがエンドロールなのだと気づいた。たまたまその土地に暮らしていた人々がキャメラの前に現れいくつもの顔を残しては消えていく、なんともすばらしいくエンディング! ざわざわざわと鳥肌が立った。その後、キャメラは俯瞰で校庭全体を映すとスタジオ撮りの映像に変わった。富樫雅彦が静かにドラムを叩いていた。その、ほんの数分だけでわたしは身体ごとぎゅうと掴まれてしまい、本篇を見てもいないのに流れていくエンドクレジットに見入ってしまった。よし、今度はじっくり腰を据えて二百二十分の長尺と付き合おうではないか。さっそく再放送日時の確認をしたところ、これが最終回だと知ったときの落ち込みようといったら。そういえば前にもアテネフランセに『100人の子供たちが列車を待っている』を観にいったとき、「ドキュメンタリーとしての方法論」とかいうシリーズ上映でこの映画がかかっていたのも観逃し悔しい思いをしたのだったと三年ぶりに思い出した。
それは小川紳介監督の長篇ドキュメンタリー、『1000年刻みの日時計 牧野村物語』(1987)という映画です。