木曜日。アテネフランセ小川紳介『1000年刻みの日時計 牧野村物語』。十三年間、村で暮し続けたなかで撮りためた映像による牧野村の伝承と日日の風景。いくつかのエピソードを、俳優が(土方巽の妖気あふれる健全な所作!)、また村人自身が昔の自分を演じて語る。男神御神体のエピソードに笑みがあふれる。隣のひとも笑っていた。歴史は口承によって生き続ける。後世の数奇者にとって文献資料は必需品であるのは決して否めないけれど、そこにあった日日の匂いや風景、伝達過程上での誤解や歪みも含めて、「あるもの」を残すのではなく生き続けさせるためには身体性を伴った記録媒体が必要なのかもしれないと改めて思う。とにかく面白い四時間弱だった。ラストシーンの弾丸のような語りから、村人たちが手を振りながら校庭を歩くエンドロール、そして富樫雅彦のドラミングで終幕。観終えて拍手。

金曜日。告白します。冷蔵庫のなかにマスタードとマヨネーズと醤油しかなくなって、インスタントの塩ラーメンに玉子を落としただけのものを食べた翌朝にまたインスタントの塩ラーメンに玉子を落としただけのものを食べたら胃腸が壊れました。市ヶ谷整体に駆け込んだら今度は胃下垂との驚くべき診断。胃の位置をあげるためには三点倒立が効くらしい。夜、『タカダワタル的』の試写に間に合わなかったので吉祥寺へまっすぐ帰ってバレエ教室。鏡の前でグルグルまわったのち、午後十一時半の中央線上り電車で高円寺大和町界隈へ。大根の炊き込みごはんや白菜と豚肉の煮物黒胡椒風味などをいただき、しそ焼酎と梅酒で宵っ張り。午前五時、朝刊配りとすれ違い、近所別宅に移動して宿主のベッドで就寝。来月、京都に遊びに行くことが決定。ムーンライトながらの夜行旅か夜行バスかで迷っている。大人なのに時間を金で買えない身。ジバンシーのピンクの鞄の件は心ある友人に一蹴された。そうだ分相応に慎ましく生きようと思いつつ、春靴の準備はどうしようかと乙女の消費欲は留まることなく踊りつづける。

土曜日。田原町交差点の蕎麦屋にてそば焼酎そば湯割り。ほたるいかの沖漬け、豚角大根、なめこおろしを食べたあとに天ぷら蕎麦。ほろ酔いのからだで閉店後の合羽橋商店街を突っ切り、入谷なってるハウスに転がり込んだ。サックス、ベース、ドラム、ピアノ、そして強い声。ディタオレンジなんて軟弱な酒を呑みつつも頭と耳はけっこうまとも。だってわたしは目の前で生まれ耳の奥を痺れさせる音楽にちゃんと興奮できている。友人の三茶ちゃんとちゃんさん、大谷採石場以来の六年ぶりの再会。拍手。不破さんからいい匂いのする煙草をいただいた。インドネシアのガラムメンソールという煙草。タールのミリ数に愕然とした。軟弱な肺のわたしが吸えるのはラークの二ミリが関の山だのに。口に当ててみると、おいしい匂いがして口のなかに甘いものが残るごきげんな味。調子にのって煙をグンと吸い込んだら涙が出た。音楽煙酒満腹会話。これだから人生は面白いものなあと、心からそう言ってしまいたいと思います。