「この世というものは、総じて不思議でもなんでもないので、何がどうなろうとすべてあっけらかんとした現実にすぎない。もともと人間の考える理というものと無関係に、自然は自然界の理によって動いているので、人間の考える理は必死でその後を追いかけているだけだ。(中略)特に私のように、自然の理だけでなく、世間の建前からもいくらか離れ、個人的な部分にこだわった生き方をしている者は、そこでなにがしの充足を味わった分だけ、大きな理に背いた不幸を甘受しなければならない。」(色川武大『引越貧乏』)



眠る前に「KAWADE夢ムック 武田百合子」の吉行淳之介×武田百合子対談を読む。御茶ノ水時代に、酔っ払った流れで吉行は百合子さんにキスさせてくれと言い、百合子さんが「いいよ」と答えたのでさっそく暗がりでキスをしたのだが、唇と間違えて鼻を舐めてしまったもので百合子さんに平手打ちされた、というのが面白い(百合子さんはずっと、吉行さんが無視するのが癪で平手打ちした、と思い込んでいた。それも美しく素直な女の傲慢さでかわいい)。百合子さんの「好色五人女」の解釈も面白い。伊勢参りを「遠足」で済ませてしまうのも面白い。百合子さんになりたいひと、きっとたくさんいるはずだ。わたしだってこんなに愛らしくて迫力のある女にぜひともなりたいとおもう。でもどんなにすてきな人でも、他人の真似はみっともないからしないの。

ふとんのなかで『あおいとこ』と『空』を交互に聴く。前者は泥遊びをしている子たちが泥だらけの指を顔にかさねてその隙間から空を見て「ひろいねー」「ねー」「ゆうやけだねー」「きれいねー」と言っているような無邪気で逞しい音楽。後者には天井が突然スコーンと抜けて青空が見えたかのような瞬間がいくつか詰まっている。密室のなかで見えない空を想像するからこその広がり。ゆるやかに眠る。