きのう観た映画の話をズラズラと。
ハタリハウス『悪名』キャンペーン開催中。シリーズ第三作目『新悪名』(1962/大映)は森一生が監督。戦争が終わり復員してきた朝吉はすっかり変わり果てた日本の姿に唖然とするが、やっぱり馬鹿正直で喧嘩に強くて面倒見のいい男前がモテるのは世の常。闇市のパンパンたちに囲まれてかみつかれているのすらモテているように見える。これは女を殴っちゃうかな…と見ていたら不細工なのをガツンと殴った! あははははーと大笑い。浜田ゆう子演じる田舎娘が自棄をおこして娼婦になったのを朝吉がつかまえて、はさみでジョキーンと髪の毛を切っちゃうの、あれは女なら絶対惚れちゃうってばと思えばその通りで、カレーライス食べながら「あたし、朝吉っつあんの子供産みたい」。それを聞いた朝吉は浜田ゆう子の手を握る、なんとも話が早い。男の子はそうでなくっちゃ(でも寝ないで田舎に返す)。浜田ゆう子もいいけれど、パンパンのリーダーで清次(田宮二郎)の愛人役の万里昌代がたまらなく色っぽい。座頭市のマドンナおたねちゃんの縞着物姿もよかったけれど、特撮映画が入っているよな派手顔には真っ赤なドレスもまた似合う。森一生監督作品らしく、物音ひとつしない静寂を俯瞰で押さえたのち、群集がワーッと大挙しての祭りのように賑やかな乱闘シーンに移るあたりは娯楽映画として真っ当なつくりで愉しめる。須賀不二男&沢村宗之助の悪役コンビもお約束通り。
続いて第四作目、田中徳三『続・新悪名』(1962/大映)。ませた子供と勝新の組み合わせは座頭市でも悪名でもやっぱり面白い。『座頭市二段斬り』の小林幸子も芸達者だったけれど、今作の赤城まりもなかなかだ。旅一座の興行を手伝う朝吉だが、そこに絡んでくるケチな悪役がエ・ン・タ・ツ! 遠藤辰雄を見るとどんな役でも吃ってくれないかなあと期待する。『小早川家の秋』でなんてことない親戚の小父さん役で登場しても「ドドと吃れば人を斬る」といまだに思うほどの吃安ファン。それから、なにはともあれミヤコ蝶々。その小柄なからだ全体が芸そのもの。芸能人ではなく芸人のなんとすばらしきことよ。
CS衛星放送にて成瀬巳喜男『妻』(1953/東宝)。林芙美子の小説を原作に…といったところでだいたいの予想はつくはず、やるせなき市井の夫婦の物語。上原謙のうだつのあがらない感じの二枚目ぶり、食後に箸で歯をいじる高峰三枝子の卑劣な演技。わたしは夫婦のことはようわかりませんが、夫が浮気して妻から離れていったとき、恨みに燃えた妻がどこまで意地悪くなっても許されるのが何よりやるせないなあと思うのです。若い娘役の新珠三千代が高峰に「だって、お姉さん、油断しすぎだったもの」と言うのに頷く。予定調和のラストにいたたまれない気もちになって台所で皿を洗いながら高峰三枝子の鬼形相を流し観。男と女の惰性の隙間をうろつくとぼけた風情の三國連太郎に救われたのだった。

        • -

イメージフォーラムにてペドロ・コスタヴァンダの部屋』を観た。三時間の長丁場。昨年暮れの小津安二郎シンポジウムで監督の姿を見、ハスミン激褒めのコメントを聞き、劇場で予告篇を見て、気になっていたのだった。目がくらむほど異常に高いコントラストの映像、映像美というのも野暮なほど、あるがままの映像がキャメラを通すことで映画的なヴィジョンを得ている。これはたしかに凡人では撮り得ない世界。ドキュメンタリーと違う、どこか禍禍しくある現実の記録。構図がね、出来すぎているくらいに完成されている。遠方に取り壊されていく住居、そして手前では炎が揺らめいている。そこに唐突に現われる野良猫。下手くそがそれらしくやろうとしても胡散臭くなるだけの映像手法が、この映画の場合、数時間経ったいまでも瞼の裏側に強烈に焼きついている不思議。それが才能というものなのか。とはいえ手放しで絶賛するのは難しい、なぜならわたしは半分くらい眠りながら眺めていたからだ。物語は進まなくとも世界は強烈にその色を塗り替えていく、そんなかんじで今日のところはかんべんしてください。