今週の浅草東宝オールナイト興行は黒澤明脚本作品四本立て。午後九時からと浅い時間に始まるというので化粧っけのない顔にメガネをかけて出掛ける。午後九時の浅草六区、小便臭い映画館には娘と呼べるのはわたしの他いない。エスカレーター下では早速親爺さんたちがどうでもいいことで喧嘩していた。そういえば以前、女子トイレに入ったら爺さんが入れ歯を外して洗っていた。ここの椅子はいまだに赤くて平たい昔ながらのものだけど、とにかく広くてスクリーンも大きいから居心地は悪くない。
一本目、谷口千吉『銀嶺の果て』(1947/東宝)。高瀬昌弘『東宝砧撮影所物語』という本でその撮影顛末を読んで以来どうしても観たかった映画で、「男のくせにツラで飯を喰うのは俺はいやだ」と言い張り裏方を希望していた三船敏郎がついに口説き落とされて俳優デビューした作品でもある。浅草東宝のスクリーンに雪山の豊かな表情が映し出されると、それだけでまず圧倒される。モノクロ画面なのに「雪がオレンジ色に染まって見えるすばらしき瞬間」がこちらにも見えたような気がする光の眩さ。真冬のアルプス連峰に機材を担いで登って撮影したという秘話(三船敏郎は自ら六十キロもある最も重いバッテリーを持って登山したらしい、このひとはほんとうにかっこよすぎるなあ)、劇中の雪山で交わされる強盗志村喬と登山家河野秋武のごくセンチメンタルなやりとり、三船敏郎の野獣のような目つき、あらゆるところにグッとくる。山好きの谷口千吉に連れられて黒澤明も山仲間になり、そしてこの脚本「山小屋の三悪人」が生まれたという。この時、谷口三十五歳、黒澤三十七歳、情熱にあふれた青春映画なのだ。ズラズラ喋るモンペ姿の若山セツコの頬がパンパンに膨らんでいて、ほんとうの山娘のようにあどけないのだった。
二本目は同じく谷口千吉監督『ジャコ萬と鉄』(1949/東宝)。北海道のニシン漁場を舞台に、月形龍之介の無頼者「ジャコ萬」と、番屋の倅ながらも労働者の味方という話のわかるマッチョ青年三船敏郎の「鉄」を中心に、出稼漁夫たちがそれぞれの思いと現実を背負いながら網を引くという話。すべてはニシンが来る瞬間までの物語。沖からニシンがやってくれば男たちはそれまでの鬱憤も忘れるほどに全力で網を引くしかなく、女たちは惚れたはれたも横に置いて背中の籠でニシンを運び男たちのために米を炊く。黒澤明の脚本というのは、物語運びにいっさい無駄がないうえに、いくつかの同時進行のエピソードを集結させてクライマックスで観客の感情を一気にまとめあげるので、ニシン番屋だけでなくスクリーンの外のこの劇場の空気までググッとしまる感じがしたのだ(端っこの席では、寝にきた親爺さんがさっそく鼾をかいていたけども)。物語筋だけではなく、その映画自身の昂揚に目が潤む。もちろん物語そのものは、辛抱とハレのメリハリだったり男と女のもつれあいだったり、異分子「大學」という男が持ち込む柔らかさだったり、清川虹子藤原釜足らのコミカルな存在感だったり、三船敏郎の肉体が語る強靭さと淡い恋心の清々しさだったり(大好きだけど、でもヒゲがあったほうがわたしはなお好きよ)、と、感動までの数キロにたくさんの給水所が用意されている、ごくごく良い映画。大満足。

二本観終えて午前零時過ぎ。ひとり映画館を飛び出して雷門界隈を全力疾走。終電車に飛びのって今夜の娯楽はこれにて終了。