先々週のY氏の月曜映画史講義で冒頭のシーンだけを観た、『オーソン・ウェルズのフェイク』(1975/イラン+仏+独)。改めて観通した全篇約九十分、ハー!と感嘆符ばかり頭に並ぶ器用で愉快な映画。「ほんとうのはんたいのはんたいのはんたーい」と言ったのは子供の頃のお遊びで、映画はその「子どもの領分」に属するものだっていうこと。嘘をいかに本物の嘘にするか、たとえば贋作描きによる名画が本物と鑑定されて美術館の壁に並べられるように、あるいは謎に包まれた富豪をさらに虚実で囲んである真実のイメージを暴露するように。オーソン・ウェルズのこの映画のなかで、美女が太もも半ばのミニスカートで町を闊歩し、男たちがみな彼女の尻と脚を舐めるようにみつめる、そのすべての視線は本物だ。でもそのからだの持ち主である彼女は何の本物だというのだろう。最初にオーソン・ウェルズ自身が宣言するように「真実」が語られる六十分。突如挿入される「FAKE」の文字群、たくさんの嘘をつく奇術師ウェルズのマジックにいつまでも騙されていたいと思わせる映画。あらすじを教えたいけれど説明下手なわたしの口上ではすべてを明かしてしまうか全部嘘ばかりになるのがオチなので控えます。しのごの言わずに観るがいい。ちなみに日本語字幕はY氏のお仕事でした。