htr2004-05-03

会いたいひと、憧れているひと、仲良くなりたいなと思っているひととは、そのうちに近くに行ける気がしているし、幸いなことに昨年あたりからそんな出会いが続いている。たとえばY氏の一日かぎりのワークショップの日に教壇に駆けつけて以来恐れ多くもはじまった贅沢な文通。「座頭市映画手帖」だって平岡さんの巻頭言があるのとないのとでは大違いだし、かっこいいなと好んで聴いていた唄声の持ち主と音楽やら創作やら生活について電話越しに語り合ったりしている。音楽が生まれる瞬間を目撃しようと現場を追いかけ続けていたら、言葉と映像で追体験できるうれしい機会にも巡り合った。これから面白くなりそうな予感だっていくつか控えている。自分が動かない限り風は起きないというのはもちろんだけど、なんとなしにその風向きが見えてきた気がするのです。呪文のように「仲良くなーれ」と唱えているわけではないし、偶然の重なりを必然と考えるほど傲慢なわけでもない。ただ、いつかこの予感が現実に合致する季節がくるだろうと思っている。そういう風が吹くってことがわかるようになってきた。なんとも幸福なことだ。今夜は、わたしはわたしのやれることにふたたび真正面から向かい合う夜にする。電話越しに「気」を分けてくれたあの娘に向かって感謝と祝福を。


きょうのこと。細かい雨があがった夕暮れ、吉祥寺音楽祭というイベントで、駅前北口ロータリーにて高田渡さんのライヴを観る。いつも通りにバスがグルグルまわり、高架ではオレンジ色の電車が行ったり来たりと騒がしく、デート買物キャッチしたりされたり手相を見たりと忙しい人々は横断歩道を渡りつづけ、事情もわからず連れて来られたチビたちはお父さんの肩ごしにグズりつづける。「自殺はいけませんよ。死にたいナアと思うところで生きているのがいいんです」というようなことを言っていました。最後の一曲には小室等さんも加わって合唱。しっとりとした風が肌にやさしく、満月がきれいな宵でした。高田渡さんがこの町にいるというだけで、吉祥寺から引っ越す理由がまたひとつ消えたなあと考えながらも在住六年目。吉祥寺花難民は「4匹のねこ」で朱色のアマリリスに辿りつき、机のうえに活けて眺めてみればこれがなかなかにいい気分。