川島雄三『洲崎パラダイス 赤信号』(1956/日活)。名作であるのはもう知っているがやはり何度観ても、最初の橋の上のシーンの新珠三千代の髪がほつれてやさぐれた風情といい、遊女と逃げていった夫を十年も忠犬のように待ちつづけていた中年女の轟夕起子が夫が戻ってきた途端に白粉をはたいてしまう健気すぎる醜さといい、言葉少なく常に煮詰まっている三橋達也の駄目さ加減といい、その隙間をぬるりと自転車ですりぬける小沢昭一の唄といい、いやはや、なにより蕎麦屋芦川いづみがラジオをつけたときに流れる「かっわいいかっわいいさっかなやさんっ」の唄の場面は何度観てもすばらしい。だめな男を叱ってだめな女を追いかけて、だめさ加減だけはいつになっても変わらずに、男と女は対になって川の上をさまよう。どちらかが手を放したとして、そこで別れるならそれは賢い選択かもしれないけれど、離れられない愚かさこそが人生なのかもしれないよっ、なんて、今日のわたしにはこの映画ちょっとばかり毒だった。手を離したことが間違いだったのか、カタギになるために必要なことってなんだろうなんて、昨日までと真逆なことを考えるのはとても危険だ。あいかわらず「ごふっ、ごふっ」と咳が出る。終映後にジムに駆けていって鼻水と涙目でモダンバレエレッスン。ぐったりしているのか清々しいのかわからないからだでアパートに戻ると、玄関の前に酒臭い娘がひとり仰向けで寝ていたので驚いて苦笑いでそしてなんだかちょっと救われた。