htr2004-07-09

あたまにくるとすぐに「義理」とか「仁義」とか「マゴコロ代」とかいう言葉が口をついて出てくるのは中野武蔵野館通いで観た任侠映画の刷り込みなのかもしれません。東京に雪が降って熱燗がよく売れた夜、ハモニカ横丁ではNHK朝の連続テレビ小説のロケが行われていて、「だれ、あのかわいい娘?」「主人公の新人でしょ」「じゃあ、あの大人の女のひとは?」「緋牡丹だよ」「ええっ、お竜さんっ?!」と、キャーとカウンタから出てミーハー心で冷やかしにいったこともあった。そのときに撮影したシーンはすでに放映したらしいけれど、件のドラマは一度も観ていない。山下耕作『緋牡丹博徒』(1968/東映)観て、お竜さんがかっこいいのは、鉄火場で凛としているからではなく、流れ者の高倉健に素直によろめいてみせる柔らかさがあるからだと思う。「娘時代を〜」と藤純子自身が唄うグダグダのテーマ曲が流れても、実のところお竜さんは男勝りなんかじゃなくいつだって「女」なのだ。自分の乾分がおこした喧嘩を収めるためによその親分(金子信雄!)にたてつくシーンで、予定調和的に「こんな女が」と言わせるのを待ってから無言でパーンと拳銃を天井に向けてぶっ放すなんて、これこそ女の美徳というやつだ。その直後に女親分清川虹子とのガチンコが続くので余計にお竜さんの女の意地と健気さが浮かび上がる。そこにベタ惚れするマンガライクな若富演じる虎吉親分がかわいい。


六週間ぶりにピアス病院。軟骨ホールの治療がようやく終わり、再びゴールドのリングが貫通。いつの間にやら左右合わせて計六つ。ピアスとマスカラは武装だ。ピアスを落としたりマスカラを忘れて出掛けた日は、なんだか竹槍持たずに百姓一揆の場に出てしまったような不安な気持になる。世知辛い女渡世、ピアスの次は刺青(がまん)背負って生きていこうかしら。


入谷で不破大輔さんのベースソロ。ベースの音、あんなにいろいろな表情をしているのだなあ。最少催行人数二人(低音環境やちゃんさんとのデュオなど)のライヴはいままでにも観たことがあったけど、ソロを観たのははじめだったのだ。感覚的な物言いはするまいと思いつつ、今まで観たなかでもっともまっすぐな音楽だと思った。湿度の高い夜のなかでウッドベースが唸って唄って叫んで囁いていた。


かっぱ橋から上野駅まで歩いて帰る。ほんの少しの酒がいい塩梅にまわりはじめ、頭のなかでさきほど話したばかりの『秋津温泉』が再生しはじめた。ほんのすこしの衝動と飽和状態の分別が交じり合って稲荷町。シャッターが閉まった仏壇屋の前で酔っ払いに「カワイー」と言われ「なにをお!」とケチつけて歩く。他人に迷惑をかけるにはまだ酒が足りない。上野発の夜行列車(金沢行き)に飛び乗るにはまだ酒が足りない。でもなんだか帰りたくない。上野駅のホームで電車を何本も見送る。宇都宮大船水戸、行っちゃえ行っちゃえ、でもやっぱり酒が足りないのだ。駅前の深夜営業のスーパーではたんたかたんが売切れ。台所から少し残っていた焼酎を出してきて、チーズとゴーヤチャンプルーで一杯。そのころには瞬発力はとうに消えていて、分別が元通りに上座に居座っていた。そうだ、下克上は長くは続かないものだ。おろしたてのピンクのサンダルで擦れた足の傷をいたわりながらチビリチビリ。マゴコロってのはいったいなんだろうね。