htr2004-07-31

僕らが旅に出る理由のひとつに「青春十八きっぷが発売になったから」というものがあるということをごぞんじ? そこに魅力的な温泉が沸いていて、手前まで線路がのびているなら出掛けないでいる理由はない。移動に対する原初的な欲求に従って時刻表と手ぬぐいを手に夜行列車「ムーンライト信州」に乗り込めば、甲信越股旅のはじまりだ。


朝焼けの午前五時、夜行列車は白馬八方尾根に到着すると、たくさんのにわか登山客とひとりの銭湯不良少女を吐き出した。銭湯不良少女はひとりでのんびりするのが好きなうえに頑丈なので、知らない土地では文句も言わずによく歩く。西の河原の上空に熱気球が浮かんでいたのが見えたので、近づいていって乗せてもらう。束の間の『八十日間世界一周』気分。下から見上げていたときはありゃーぜったい子供騙しだぜーと冷やかしていたのに、実際に浮かんでみるとすばらしい眺めと不安定な怖さがあり、尻のあたりがモゾモゾした。同乗した太ったチビッコが四方を眺めようとせわしなく動くたびに気球がゆるやかに傾くので唇をへの字に結んで踏ん張る。空がとても近く地面が想像以上に遠かった。その後、白馬塩の道温泉「倉下の湯」に一番乗りでゆったりと浸かる。古いけれどよく手入れされた建物のなかには露天風呂と上がり湯しかなく、茂みの向こうには青空と残雪をまとった連峰が堂々とした姿をみせていた。鉄を含んだ黄土色に濁った塩味の温泉。感動のあまり知らないおばちゃんとこの湯を褒め称えてのぼせる。湯上がりに缶ビール、ほろ酔いと日差しに興奮しながら駅までの道を歩くこと十数キロ。健康にもほどがあるなあまったく。


正午過ぎ、再び鈍行列車に乗り込み股旅はつづく。窓辺で居眠りしていたらいつしか列車は渓谷を走り抜け、足元は単線になっていた。糸魚川で乗り換えて北上、日本海沿いを走って直江津まで。港で丼でも食べるかあと思っていたけれど、ざんねん、次の列車は二十分後発だと時刻表が告げている。駅構内でオバチャンからいちばん安い駅弁を買い、ボックス席をひとり占めして押し寿司をたいらげる。列車旅はこういう不自由な時間こそがたのしい。そうだ、観光よりも移動が好き。到着してしまったら旅の七割は済んでしまっている、何事もそこに至るまでに不安定な喜びがあり世転びがあるのだとおもう。


新潟から再び長野に戻って飯山線飯山駅で下車すると、そこは昭和時代の余市駅前によく似ていた。馬曲温泉行きのバスがあるはずだと朽ちかけた木造のバス小屋に入ると、仮眠をとっていた運転手が出てきて「バス停を降りてから山の中を一時間歩くよ」と言ったので膝がガックンと崩れた。宿のあてがないのです、と告げると、そのまま野沢温泉行きのバスに乗せられた。案内所で今夜の宿をみつけてさっそく浴衣に着替えて外湯めぐり。野沢温泉には源泉違いの十三の外湯がある。近所のひとたちで構成された組織「湯仲間」が管理する無料の共同浴場だ。旅人はそんな生活密着の湯船にお邪魔してお湯をいただく。集落の中心にある見事な建築の「大湯」はさすがに混んでいて、「ぬる湯」も「あつ湯」もどちらも同じくらいに熱かった。ざぶんと浸かってからまた浴衣をひっかけて麻釜経由で奥地の外湯「滝乃湯」へ。途中の神社で他人の健康と自分の前途を祈る。どちらのお湯も硫黄の匂いが鼻をウキウキさせてくれるし軽い肌触りもきもちよいものだった。浴衣に夜風を受けながら夜の温泉街を歩き、坂下の蕎麦屋でちょいと一杯ひっかける。


ここ数年、夏の終わりにはいつもどこかにひとりでふらふら出掛けていた。そのたびごとに原因は違えどなにかしらセンチメンタルな気持ちが道連れにつきまとっていたものだけど、今はちょっと違う。それはたぶん、これから夏が本腰入れて乗り込んでくる季節にあるからだ。走り出してる足取りを無理に引きとめようとすれば前のめりに転んで鼻を打ってしまうだけだ。だからもうしばらく走ることにしよう。どうせ分別と賢さと臆病さが道行きを阻むから盲になれるはずもない。民宿のふとんの上で寝返りをうち、わたしはわたしのことがいちばん好きなんだなあと改めて自分の健全さをめでたく思った旅の夜。


【白馬塩の道温泉 倉下の湯】(温泉みしゅらん)
http://www.asahi-net.or.jp/~ue3t-cb/bbs/special/yamasemi_hakuba/yamasemi_hakuba_1.htm#kura

野沢温泉 外湯】(温泉みしゅらん)
http://www.asahi-net.or.jp/~ue3t-cb/spa/nozawakyodoyu/nozawakyodoyu1.htm