htr2004-08-01

午前五時半、浴衣の衿から飛び出た左腕が寝違えてしまって動かない。朝市も朝湯も逃してひたすら腕をいたわる。『キルビル』でユマ・サーマンが足の小指を動かしていたシーンを思い出した。三十分後にようやく動くようになったので出掛ける準備をして階下へ。涌き水で淹れてくれたカフェオレをいただきながら朝刊を読んでいたら、民宿の娘さんがラジオ体操から戻ってきた。そうだ、今日のこのかんじ、まさに夏休みなのだ。山の朝は涼しくて日差しもやさしい。北国の朝とすこし似ている。空気も澄んでいてやわらかい。

馬曲温泉にいきたいンです」というと宿の奥さんが車で送ってくれた。「車に乗れたらいいんでしょうけど、わたし、ひたすら列車旅と歩きで旅をしちゃうんです」「でも、いいですね、のんびりして。田舎の生活じゃ不便だからすぐみんな車に乗っちゃいますもん」「そうですよね、歩いていても全然人とすれ違わないもんなあ」。山の上まで送っていただいてお礼と挨拶をして別れる。ついにッ、この旅のメインイベント、念願の馬曲温泉にやってきた。嵐山御大も縁で寝転んだという乳頭黒湯温泉の味わい深い露天で見上げた午前三時の星空や、峠に佇む日景温泉宿の大きな水たまりのような混浴露天、青森日本海の波打ち際で黄金色に輝く不老不死温泉、鉄分がそのまわりを錆だらけにしていたニセコ山中の古い温泉など、これまでもたくさんの素晴らしい露天風呂と交わってきたけれど、ああ、午前八時の馬曲温泉では緑色の風が水面を撫で、何ひとつ遮るものなく広がる青い空と山脈とその合間で暮らす土地の人々の様子がはだかのわたしに「ようこそ! どうぞご勝手に生き返ってごらん!」と声をかけてきたのだ。そこは秘湯の趣きとは違い、公園の噴水のなかにいるようなかんじ。岩造りの湯船の縁にからだを預けて目に見えるすべての緑色をたのしむ。癖のないお湯はからだにやさしく寝違えた左腕もすっかりあたたまって便利に動くようになった。ああ、ここに呼びつけたいひとがたくさんいるよ。あのひともあのひともあのひとも、いろんなひとの顔や声を浮かべるわたしは平和で幸せだ。押しつけがましくない愛を風呂のなかで叫ばずおとなしく祈る。この夏、会う前にいなくなってしまった若いふたりの女の子のこと、好きだったひとたちのこと、好きになるだろうひとたちのこと、なにより自分のこと。ああ、わたしの幸せは湯のなかから生まれて湯のなかで豊熟する。


濡れた頭と手ぬぐいをそのままに山を下る。温泉の窓口でおじさんに「バス停まで何分くらいでしょう」と尋ねたら、「歩いたことないからわかんないけど、うーん、下りだから三十分くらい」と教わったのに、三十分過ぎても四十分過ぎてもいまだ山の中。天然肥料の匂いや畑仕事を全身で楽しみながら大股でガシガシ歩く。ヒッチハイクするタイミングを逃して一時間かけて下山、数時間に一本の路線バスは既に通りすぎたあとだった。近くの商店でタクシーを呼んでもらって飯山駅まで急ぐ。次の電車を逃したらあんたは今日中に新潟にいけませんよ、と時刻表が言うのだからしようがない。


二両編成だった飯山線はすぐに一両にまとめられ県境を越えた。ここらで「ミスハタリの旅情と反省」は終了。十日町ほくほく線というかわいい名前の電車に乗り換えた頃にはスイッチが入れ替わった。ひょんな成り行きからひょんなことになってひょんな羽目に至る。面白い場に居合わせるのはとてもたのしい。わたしがそこに自分の居場所を作るために必要なことは情熱と実力と風待ちの勘だ。


「女の武器は白肌」と豪語していたはずがこの三日間ですっかりヤンチャな子供みたいな肌色になってしまった。それはそれでどうでもいいや、都会に暮らす妙齢女子としてはどうでもよくないはずなのにどうでもいいやと言うのは旅がらすの勢い。青春十八きっぷはまだ四日分も残っている。夏の楽しみはこれからだ。筋肉痛と日焼けを怖れて屋内にこもるのはもったいない。夏は旅の神様はほんとうに上手にわたしを手招きするからこればかりはしようがないよ。


馬曲温泉 望郷の湯】(温泉みしゅらん)
http://www.asahi-net.or.jp/~ue3t-cb/spa/maguse/maguse.htm