恵比寿ガーデンシネマモーリス・ベジャールと彼のカンパニーを追ったドキュメンタリー『ベジャール、バレエ、リュミエール』(2002/スイス)を観た。新作公演までの日々のあれこれを追う舞台裏企画は、「現場主義」「祭好き」にとってはそれだけでじゅうぶん面白い。それに、ベジャール、もちろん嫌いじゃない。仰々しいステージ演出にはてなと思うときがあるのはきっと好みの問題だろうし(先月のピナ・バウシュ来日に心を奪われていたというのを言い訳にするのはおかしいとは思うけれどもやはりつい)、億面無く映画への愛を舞台いっぱいで叫ぶのも(新作タイトルは「リュミエール」=「光」=「リュミエール兄弟」だ)まだ好意的に見られる範囲だろう。しかし、なんだかいまいち消化不良気味だったのは、そうだ、キャメラワークが肌に合わなかったからだ。しなやかに踊るダンサーのからだ全体と周囲の空気の動きを見たい!と思っても、キャメラは人物に寄ったままいつまでも「部分」ばかりを映し続ける。ベジャールに接近して彼の苦悩の表情を撮り続けるが、いくら待てども長すぎる固定から苦悩以上の何かが新たに浮かび上がってくるわけではない。どうせならベジャール本人のコメントに加えてダンサーやスタッフの証言も聞いてみたかったし、稽古場の雰囲気もロングショットで味わいたかった。「現場もの」が様々なアクシデントを抱えつつもそのアクシデントさえも予定調和で進行していくという定理に従うならば、つねに外部の存在であるキャメラでいかに語るか(眺めるか)が大事なのではないだろうか。と、よそ見を許してしまう間延びした進行にがっかり。