結局『アメリカの夜』はくりかえし三度観て、同じシーンで涙ぐみ、ついには字幕なしで眺めてはただただ笑った。嵐の夜半には『雨に唄えば』をふとんのなかから観た。この映画の素晴らしさは世界中のいたるところでみんなが微笑んでいるからいまさら言うことなんてないけれど、東京の片隅の安普請の木造アパート二階建て六畳間に暮らすスカンピンの女の子をまたひとり救ってくれたのだった。映画に救いを乞うだなんて、ひどく感傷的でひとりよがりな趣味みたいに思うでしょう。でもわたしは映画を信じたい。音楽も信じたい。愛とか恋とか身体の感覚とか革命とか季節の肌触りとかそういうものも信じたい。わたしのこと、しらけてすすけたやさぐれ娘だと思ったら大間違いです。でも夢とか運命とか奇跡なんて胡散臭いものはぜったいに信じるもんか。そしてなにより大事なこと、わたしは言葉を信じている。