山本嘉次郎『男性No.1 顔役無用』(1955/東宝)を観た。「ビッグ」というあだ名の乱暴だが気の好い顔役三船敏郎と、要領よく稼ぎまわる色男ダフ屋の鶴田浩二が共演。松竹時代直後の鶴田浩二の動きはなんだか動きが時代劇。初期キャリアを見返せば決して時代劇一筋だったわけでもないのに、たとえばはじめて三船の前に連れてこられたときに、「アーどうにでもしやがれッ」と開き直ってからだを投げ出すとき(あぐらをかくんだったかな)、そのパッキリとした動作はまさしく土壇場の潔さなのだ。ヒロインは越路吹雪岡田茉莉子。と、この四人の名前を並べたところで観たい!と鼻息荒くなったものの、なんだか最後までいまいち乗りきれずに微妙なハッピーを迎えて終幕。つまり主役全員の魅力が開花せずに終わってしまい、別にあれは三船じゃなくてもいいのではないだろうか、とか、生意気な娘さんはタカラジェンヌでも問題無いな、とか、唄わない越路吹雪はもったいないなー、とかいろいろと心残りが多く、結局いちばんしっくりきたのは、鶴田浩二がわざと三船を怒らせようとして自分の手下にへたくそな小芝居をさせるというバーカウンタでのシーンで、「なんだかよく似た話を知っているんだがな…って、それ、俺が話したことじゃねェか!」、ドカーン!、と三船敏郎が怒鳴る瞬間。まるで突然1ページすべてが大枠のコマ漫画になったかのようで笑った。

山本嘉次郎といえば『馬』という映画がある。この現場に製作主任として加わっていた黒澤明が、山本監督の「馬が走る美しい姿へのこだわり」に対して感動して、その後『隠し砦の三悪人』で三船敏郎乗る馬が全力疾走する姿をガッツリ押さえたり、逃走した馬の群れが山道をかけおりていく様をひたすら撮ったりしたというのは有名な話だ。跳躍する生き物が放つ美しさを気づかせた先人であるという知識はずいぶん前からあったのだけど、肝心の監督作品を観たのはこれがはじめてだった。たしかに、最後の新橋線路近くの長屋街のシーン、物語の流れはつまらないけれど汽車が走るたびに画面全体が揺れるような臨場感はこちらを興奮させた。それはわたしのなかに鉄キチが住み込んでいるから、というだけではないはずだ。