「旅は、それがどんな旅であっても、常に冒険旅行であることを免れない、というのが僕の持論である」というのは、山口瞳の『温泉へ行こう』(新潮文庫)での宣言。今夜は吉祥寺駅から保谷方面へのバスに乗って寄り道回り道、元旦に浸かって岩盤浴で汗をかきその後厄介な風邪に悩まされた武蔵野天然温泉「湯らく」へ出掛けた。平日の健康ランドというのは緩くて好きだ。走りまわるチビッコの高い声が反響することもないし、ほとんどの浴槽をひとり占めにできるし、毛布をかぶって休憩室でうとうとすれば休日の二倍は間延びした時間を過ごすことができる。十年前に好きだった男の子はお洒落でかっこいい音楽を鳴らして六本木のお姉さんたちにかわいがられるようなひとだったけれど、郊外の健康ランドの畳敷き休憩室で食べる不味いカレーと茹で上がったおっさんとの一期一会の詰め将棋をこよなく愛していて、わたしは彼のそんな緩さに惚れていたのだった。ほら、バスで十分の健康ランドへの移動ひとつでも心のなかはすでに冒険だ。

昨晩はピットインにて謹賀新年渋さ知らズ。渋谷さんの鍵盤、太田さんのヴァイオリンと拡声器、芳垣さんのトランペット!に、あやさんが唄いあげた「ひこうき」。いろんな気持ちが豊かな色衣をまとってふわふわと浮いていた。旅は、それがどんな旅であっても、常に冒険旅行であることを免れない、というのなら、いま目の前ではじまった旅は冒険以外のなにものでもない。素敵な舟となんだかんだという映画は観逃した。舟でゆくのはジュリーと誰? 旅先にあるのは期待ではなく決意と結果であるということ。なにがなんだか頭がすでに旅に出ていて毎日が留守ばかりですみません。旅慣れているとはいっても各駅停車の列車旅ばかりのわたしは、背負い込みすぎた荷物の重みでときどき頭がごちんと地面に落ちる。余計な荷物を捨ててまずは空に気球を浮かばせよう。従者パスパルトゥのように(彼のように器用ではなくても)いつでもゆかいな思いつきを。冒険旅行の白地図をいっぱいに広げてぺんてるクレヨンを握る夜。