htr2005-02-12

矢崎泰久『「話の特集」と仲間たち』(新潮社)を読んだら、眠るのがもったいなく思えてしまってからだが困っている。雑誌「編集会議」に連載された各章をこうして一度につづけて読むと、やけっぱちでやみくもでやさぐれにみせかけた情熱の青春物語に興奮するばかり。濃度高くこちらに迫ってくる眩しい勢いに、平々凡々なわたしの頭が心が手足がすっかり圧倒されて、眠気が勝手にあちこちへ出掛けていってしまった。「話の特集」の創刊は一九六五年の十二月二十日のこと。物語は創刊前史である矢崎さんの新聞記者時代からはじまる。それから、てんやわんやで迎える「話の特集」の物語。自分で自分のことを書かねばならないから控えめな文章ではあるのだけど、これは他の誰でもない矢崎さんが持ち得たラッキーと呼び込んでしまった不遇(金融ブローカーにだまされたり!)とが、ひとつ腹を括った編集者(とはいえ、編集者でありイベントやテレビや映画の企画者でありプロデューサーであり「学校ごっこ」の先生役でもあり、もちろん優れたストーリーテラーでもあるのだ)のもとでごた混ぜになってたしかな時代を作ったのだなあと感動する。こんなことは滅多に起こり得るものではない。

矢崎さんは止まることがない。原稿依頼に原稿取り出張校正資金集め打ち合わせ対談撮影麻雀、拉致監禁。ディレクターズチェアは空いたまま投げ出され、時には抵当に入れられたりする。名前入りの椅子などで格好をつける必要なんてないのだ。あれこれの騒動が矢崎さんを追いかけて、矢崎さんもその尻を追いかけるものだから、どっちが頭で尻なのかわからなくなったあたりでドラマができあがる。「もうひとりの編集長」とも言える和田誠との絆、ライトパブリシティ人脈が才能を発揮する一方ではトップ屋竹中労チームが爆走し、上手で状況劇場なら下手には天井桟敷、こちら側の器用が永六輔ならあちら側には吉行淳之介が悠然と佇み、野坂昭如が唄えば小沢昭一が全裸になるまで脱ぐ…という、七十年代生まれのわたしにしてみれば豪華絢爛な絵巻物を見ているようで、読後もまだ目の前が眩しい。このあたりのお話は、和田誠『銀座界隈ドキドキの日々』(文藝春秋)でも同じように味わえる。頭のなかでは眩しい青春物語の様子が、心のなかではあこがれと焦燥感がとぐろを巻いていて、夜半を過ぎてもうちの眠気はまだ帰宅しません。