ミスハタリはついにどこかに埋もれたか。どっこい、しぶとく暮らしています。「どんな場面でも『忙しい』なんて泣きごとを言おうものなら恋が逃げますよ」と美人チャンに諭されて、なるほどなあ、と、わりあい素直なハタリちゃんは渋谷は千両のテーブル席にて黒酢アセロラサワーをのみながら赤ら顔で頷き、恋が逃げるくらいならおれは世界のちゃぶ台をひっくり返してみせるぜと息巻くばかりの迷走中。

文化的生活とも健康的生活ともギャル的生活とも遠い、三点倒立宙ぶらりん状態の二月の目録。

その一。平岡正明最新刊『大落語』を読み進めていくうちに、落語への恋におちた!美濃瓢吾浅草木馬館日記』を読んだのはもうずいぶん前になるというのに(この本、佐々木彩子(チャン)さんのお気に入りの一冊だという話を聞いて、面白そうだなあと気になって読んだのだった)、わたしはまだ木馬亭に行ったことすらない。先日、池袋ジュンク堂での平岡正明さんのトークショウで、平岡さんの真正面最前列という追っかけらしい特等席に座ったわたしは、主に志ん生師匠の超人的なエピソードの数々に興奮してまた鼻血を出しそうになった。ある物事を、通り一篇の説明を排してひとことで言いきるその言葉の選びかた、題材の引き方の粋で見事なさま(平岡さんは、「三軒長屋」の噺で、風呂屋で「湯が温い! 屁が臭ェ!」と喧嘩になるきっかけに、新内の「明烏」を引いてきた志ん生の広さを指摘して教えてくれた)。わたしの落語経験値はゼロに等しいので、見るもの聞くもの読む言葉あらゆるものがファーストインプレッション、まさしく恋のはじまり。下巻に入れば、勝新の章で「座頭市映画手帖」も登場するということ。今からなんだか背中がこそばゆい。でも褒められるのはうれしいものね。
その二。本末転倒、今夜もどこかで生まれ出ている音楽に酔うこともできず、ひたすら机に向かって勉強中の胃袋を慰めるのはニンニクと生姜の中華スープ。これが本当に簡単で美味しいのでこの時限は家庭科にかえてここに作り方をメモします。水を鍋に張って、ニンニクと生姜をみじん切り、蓮根とチンゲン菜とあと冷蔵庫にある野菜をなんでも刻んで放り込み、ひき肉をほぐして放り込み、もやしを放り込み、しょう油を適当、味が足らなければ塩少々、ごま油を気持ち垂らして、かきまわしたところに溶き片栗粉を加えてとろみをつけたらできあがり。鍋のなかに真夜中の至福が煮立ちます。
その三。雑然と二月の記録と記憶を積み木にします。路上に立ってわかることがある。千鳥格子柄のマフラーをしているお嬢さんに美人無し。秋葉原の鳩はやさぐれていてまさにヒッチコック的恐怖。横浜のお嬢さんたちはスカート丈の短さに気合が感じられる。横浜スカイスパは湯よりもサウナ、サウナよりも仮眠室が素晴らしい。岡本喜八監督が亡くなった。ちょっと待て、わたしまだ観ていない映画がたくさんだ。真夜中に再生したゴダールの『愛の世紀』、16ミリと35ミリ、コントラストの強い画と二重露光、そして、引用を離れて繰り返される言葉にいったい何を思う。


ひとつ企画がある/歴史の何かを語る/その何かとは/ある瞬間のこと/それから最初の時期…/名前を覚えてる?/言わなかったのか/おそらく/言わなかったのだ/言ってないのだ
(字幕:寺尾次郎/字幕監修:山田宏一


二時間(あるいは二年)の後、男が本を閉じて辿りついた終着駅の雑踏で繰り返されるこの具体的な説明を排した言葉は、わたしたちの前にひとつの温かい光を見せてくれる。言葉でしかないはずの言葉が強烈なイメージ、温度、広がりをもたらす。志ん生ゴダールもそうしてどこかでつながっている、それは寝不足者の早合点かもしれないけれど、そのての勘違いはいつでもわりと心地良いものだ。