ひとつめの旅についての話。

第一目的地のモスクワで早々に挫けたおばかチャンはいろんなひとの好意といろんな物事の眩しさと音楽と世界の景色に助けられ掬われながらユーラシア大陸を縦横断。延々と同じ景色をロールしつづけるロシアの列車はまったくもって『007 ロシアより愛をこめて』のようだったし、サンクトペテルブルグでは美味しいケータリングが出てきて心底ほっとした。極北の地アルハンゲリスクでは氷上にうつくしい夕焼け(といっても午後十時)が映え、ボルシチはいつでも温かく、モスクワから南下したサマーラという町では埃っぽさのなかに息づく社会を垣間みた。いくつものアクシデントとドラマを背負って旅一座は音楽を鳴らしダンスをつづける。視野がせまくなっても音楽はきこえる。未熟なわたしでも音楽を聴くことができることに感謝する。スパシーバ、スパシーバ。

ロシアで十日間を過ごしたのち、飛行機は一座をベルギーへと招く。ブリュッセルから小一時間の古都ゲントでは、呑めなかったはずの赤ワインを一気に飲み干しておばかチャンは走る。ビールも美味しかった。きもちよく酔っぱらった真夜中に電柱にあやまったりした。古い造りのシアターの迷路のような廊下で龍と語らう。おまえさん、いったいどこからやってきてここにいるンだい。天からだってェ、そりゃうらやましいねェ、反してアタシはここにいてもいいものかね。龍は言う。あんたがいないとおれは天に戻るだけだよ。おばかチャンはホールのドアの隙間から聴こえてくる音のうねりに感謝する。メルシーボークー、アタシの旅はまだ続きそうだよ。龍は言う、てめえはてめえでうまくやってくれたまえ、おれはいましばらく天に戻るつもりはないよ。

ゲントの夜はケルンの朝へとつづく。絶望に似て非なる拙い感情は午前七時の朝焼けに照らされておばかチャンは自分の甘さを恥じた。なんだか恥じてばかりのこの人生ですが、生きていれば素晴らしいことも多々あるわけで、チューリッヒ中央駅からクール駅、そこから乗ったベルニナ特急車窓からの眺めの素晴らしさといったら! 標高千から二千キロ級のアルプス山間の景色は壮大で、山の向こうからハイジがおばかちゃーんと呼ぶ声がした。一週間ほどのあいだイタリア国境近くのポスキアーヴォという谷間の村に滞在。朝起きて散歩がてらに村の中央広場に出てお茶をのんでいたらサン・ラ・アーケストラの面々がやってくる。音楽が生まれる瞬間が重なり合って生活になるという幸福。幸福は胃も心もゆるやかにほどく。おいしいパスタやリゾット、イチゴがのったパンナコッタなんて四度も食べた。早朝の澄んだ空気、雨が降ったあとの緑色の風、山の輪郭ははっきりと浮かび上がってここの土地がどこなのか教えてくれる。昼の日差しの眩しさ、夜の星の美しさ。グラッツェグラッツェ、ここはほんとうに遠い土地なのかどうか、よくわからないほどのその親しさがうれしい。

スイスに別れを告げたらドイツのアウトバーン疾走。ミンベルグで休息してからついにメールスへ。ずいぶん前からいろいろなひとたちが話して聞かせてくれたメールスジャズフェスティバル。あいかわらず余裕のないおばかチャンは会場を渡り歩いていろいろな音楽を楽しむことまでには至らなかったけれど、さいごのいちばん長い一日、まるでサーカス小屋のような大きなテントに据えられたステージから数千人のひとびとがワーッと叫びながら沸き立っている様子を見て「感謝(驚)」というきもちがいっぱい、つまりはやっぱりダンケシェーンなのだ。


この旅でおばかチャンが覚えた言葉は、ありがとう。


本日渋さ知らズのヨーロッパツアー第一弾が終了。十日後にまたドイツに向けて出発します。