夏に部屋の音楽セットが壊れて以来どうにも音楽から疎くなっている。いわゆる音楽好きとは違うから部屋のレコードが増えることもないし、白いヘッドフォンの紐を耳から垂らして歩くたちでもないし、カーステレオといっても車どころか免許もないし、好きな音楽はそもそも偏っているし(低音)、聴きたい音楽はたいてい似たものばかりだし(メロディが美しく展開していくもの、ミとラが多いもの、体感温度の低そうなもの)、ときどきヤンチャもほしいけれど(プライマスとかわりとすきよ)、音楽のことはよくわからないから自分の肌感覚で「すき/きらい」と選別してしまう。しかしおばかちゃんは生意気にも音楽に身体性を求めがちなので、音楽が一度じぶんのからだのなかに入ってきてワクワクしたりドキドキしたりするととてもうれしい。それは単純に低音の振動や反復されるメロディが染み付く快感や、あるいはときに視覚的な演出だったりもするのだけど、とにかく、音楽とからだがつながっているかんじがどうしようもなく好きだ。

水曜日は初台ドアーズで東京中低域。聴き慣れてきた低音の重なりと水谷さんのかわいくてにくい歌声。大きなサックスから音が出てくるのを待ちながら、あたらしいブーツのかかとでいっしょの気分のリズムを刻む。なんてわくわく。木曜日は秋葉原グッドマンでワッツタワーズ秋のコンサート。地下のせまい空間で繰り広げられるスペクタクル・ショウ。よく「学芸会」という比喩が拙いライヴ演奏にあてられることがあるけれど、正しい意味での「学芸会」がここにあった。岸野雄一さんをフロントに鍵盤やギターやベースやドラムの音が重なっていく様子、なんてポップな紙芝居なんだろう! ここは秋葉原、でも銀座になったり海底になったり救命艇の上になったりどこでもないどこかになったりする。「学芸会」の主役ウサギがくれたペコちゃん飴をなめながらいっしょの気分のリズムを刻む。

このどきどきとワクワクが音楽なんだろうな、と音楽ファンの辺境でおばかちゃんは思う。グッドマンのトイレの壁に、いつか見たライヴのチラシがまだ貼られているのをみつけた。非常階段パニックスマイルおにんこサボテンロレッタセコハン湯浅湾、どれもここで見たと思ったらぜんぶ同じ日だった。突然段ボールの蔦木兄さんの追悼ライヴ、そうだった、あの日もここにいていろんな音楽を見て聴いて、音楽はたのしいなあと思ったのだった。ベースをかついで乗った総武線のなかで音楽をやろうときめた。あれから二年、わたしはあいかわらず音楽を演奏していないけれど、音楽をからだで知ることはなんとなくわかってきたのかもしれない。大事な知識は足らないけれどいまだ飽きもせず恋ばかりしている、どきどきしてばかりいる。