よく晴れた秋の日。三鷹南口の江ぐちでいつも麺の量がまちまちなラーメンをいただいたら、そのまま家と逆方向の中央線に乗って遠出をする。財布の中身も今日の予定もすべて忘れて、ただわたしは列車の窓から外が見たかったのだ。青梅特快は立川を越えて拝島迄、五日市線に乗り換えて秋川駅をすぎると線路は単線にかわる。そして窓の外の景色では空が高くなりきゅうにパーッと視界が開けるのだ。列車の左側ではすすきの穂がわさわさと振られて、右側では黄色く色をかえた木の葉がすこしだけ揺れる。単線を走る列車に乗ると思い出すのは盛岡から宮古に向かう山田線。八年ほど前の夏日、まだ扇風機が残った古い鈍行の向かいに座っていたのは浅野さん、三陸海岸沿いの村にフィールドワーク実習にいくときのこと、ちょっと岡崎京子に似た目をしたキュートでおしゃれな浅野さんとわたしは苗字が一字ちがいで、かわいい彼女とは仲良くなりたいなあと思っていたけれどさほど話したことはなくて、でもなぜかその日のその列車で彼女はわたしの向かいになにげなく座って弁当をたべていた。わたしたちは天気の話くらいしかしなかったけれど、強烈に覚えているのは、列車がトンネルに入ったとき、そうだあの古い列車には冷房がなかったから窓を開けていたのだけど、トンネルの中の冷えた風が窓から一気に吹き込んで浅野さんの揃った黒い前髪をバサーッと乱したこと、彼女はなにか笑いながらわたしに喋ったけれどトンネルの中で反響する車輪の音でなにも聞こえなかったこと、ほんの一分ほどのトンネル通過で半そでから出ていた肘がすっかり冷えたこと。田舎を切り開いた単線は森のなかを走っているようで、濃い緑色の木の葉や枝が両側の窓に無遠慮に当たってきた。どうしてそんなことを思い出すかといえば理由はふたつ、ひとつはこの山田線がわたしが列車を好きになる決定打になったこと、もうひとつはこのときのこのかんじを文章にしたいとその瞬間に強く思ったからだった。浅野さんはわたしの家に一度だけあそびにきたことがあったし、卒業式でちゃんと別れの挨拶を交わしためずらしい学内知人だったけれど、その後の連絡先もなにも知らないからいまどうしているかはわからない。

武蔵五日市駅からバスに乗って山を登ってつるつる温泉へ。肩までザブンと浸かり手足をのばして茹で上がりにマッサージ機に寝そべりコーヒー牛乳。思いつきだけで引っ張った唐突なレジャーだけど、ひのでの湯は肌にも頭にもやさしくて、ああ、わたしが求めていたのはこれだったのだとからだで感じた。列車、森、お風呂。流行りのロハスじゃないよ、ただの都会暮らしの地味な喜び。趣味は健康と列車です。