htr2005-12-22

大阪はあまり馴染みのない町だ。学生時代に府立体育館で空手の全国大会に出たことと、会社員時代に千里の万博記念公園に取材に行ったことくらいしかない。そんなまったくの初心者、ほぼバージンの大阪観光客がまず出向いた先は新世界。「大阪、きっとあなたの肌に合うと思うんですよね」と言われたのはいつだったかな、大阪のイメージは梁石日坂田三吉のわたしにとって、大阪は魅力的でありながらどこか物語のなかの町なのだ。手を引かれるままにジャンジャン横丁に入り串カツとビール、この満員のお客さんたち、いまは昼の二時なのにまるで宵の口みたい。三貫で百五十円の寿司はとてもおいしくて、満腹で辺りを流せば、青空に通天閣がドーンと登場して旅人のこころをもりあげた。路地に入り込むと、あれ、これはあの映画で観たような風景、白いワンピース姿の荒れた寺島しのぶが歩いてくるかなと思ったら、そこに建っていたのは古い映画館、三本立てで千円、森繁久彌の『喜劇百点満点』がかかっていた。ジャンジャン横丁を駅近くまで戻って奴寿司でビールとお湯割り。名物だとすすめられた湯豆腐は一人前が土瓶に入っていて、ふたを開けるとおだしとお豆腐と鱧、ていねいなお仕事、そこに関西があった。わたしはいっぺんに大阪がすきになった。

ブリッヂにて渋さ知らズの関西篇「西渋」のライヴをみた。東京からやってきたのは不破さん立花さん鬼頭さん北さん倉持さんペロさん、高岡さんは東京じゃなくて大阪在住なのかな、内橋さんはウィーン組ですね、そこに名古屋や大阪京都を中心に活動しているミュージシャンが加わって新鮮な渋さ知らズのできあがり。いつも聴いている曲、観ていたはずの舞台が、予測できないステージになってとても面白かった。もちろん東京で観ているステージだって面白いことが多いのだけれど、「お約束」がないってことはなんてハラハラするんだろう! 幹部を担う東京組と、譜面から想像力でもって渋さ知らズを作っていこうとする関西組、そのバランスが秀逸で、こういうのを東京で何度か観られたらいいのにと観客はのん気に考えた。終演後、パーカッションの横沢さん、「たのしそうに叩いていましたねー」「えっ、だってたのしかったもん」。瀬戸さんのクラリネットもうれしそうに歌っていたなあ。はじめて演奏を観たミュージシャンの方がたくさんいたけれど、みなさんとてもすてきで、彼らそれぞれの演奏の場をまた観てみたいと思ったわけだし、また、その場では演奏はしていなかったけれどお会いしたいと思っていた人ともお喋りできて、音楽や旅や飛田遊郭の話などをききながら、わたしはいっぺんに大阪がすきになった。

ヨッパライとヨイッパリが大阪で食べ歩いたあれこれ。串カツ寿司湯豆腐のほか、たこ焼きは素とおだしとソースでいただいた。明石焼き。真夜中に御堂筋のタクシー往来を背にして金龍ラーメンを立ち食い。鶴橋で焼肉、赤センマイやウルテが美味しかったのだ。道頓堀のうどん屋今井で鴨鍋。鴨のあぶらを吸った葱のクッタリ加減に感動。大阪の町はお祭りの露店街のようだ。気軽に胃袋を遊ばせられる、しかもおいしいものがたくさんだ。わたしはいっぺんに大阪がすきになった。

足をのばして神戸まで出かけた。その日はあいにくの雨で、須磨垂水の海は見えず景色は真っ暗だった。おじゃました先で鍋の用意を手伝っていたら、ちいさいひとがふくらはぎにしがみついてきて、とてもかわいらしく台所の邪魔をした。お近づきになって顔を寄せて近くで見るとキャッキャとわらった。あんた、ちいさいのによくできているわねえ。鍋をいただきながら焼酎を呑み、ヨッパライとヨイッパリがお喋りをしているうちに雨は雪にかわり、翌朝、寝坊たちはギャフン!となったわけだ。

旅の話は大阪の町に戻ります。ふと入り込んだのは法善寺横丁、藤山寛美筆の木看板にさそわれて、せまい路地裏には法善寺の水かけ不動さんがいた。「行き暮れてここが思案の善哉かな」、織田作之助が描いた『夫婦善哉』、やはりイメージは着物の裾をパタパタとはためかせながら軽やかにお参りにやってくる淡島千景演じた蝶子なのだ。わたしにあの軽やかさはあるのかな。お参りをしながら、いまのわたしがなにを願うべきのかなんてわかりやしませんが、蝶子の足音に年末らしくわが身の来し方行く末をのんきに考える。わたしは大阪がいっぺんにすきになった。