昨年末から受信が鈍くなっていたベランダのCSアンテナを少し動かしてみたら、とたんに調子がよくなった。待っていました「テレビ座頭市」全百話連続放映! マキノ雅弘次郎長三国志』はニュープリントの第六話と七話を含むシリーズ全作放映! 『社長』だって『駅前』だって、『醜聞』の三船敏郎にだって会えるのだ。興奮のあまり、番組表を手に部屋をウロウロと落ち着かないミスハタリ。テレビを点けて、チャンネルをかえて、偶然出会った『祭りの準備』に観入って約束を逃しそうになる。ハタリハウスに映画が戻ってきたのだ!

さっそく朝七時からマキノ雅弘稲垣浩『血煙 高田馬場(決闘 高田馬場)』(1937/日活)を寝床で観戦。以前、どこかの映画館のスクリーンで観たとき、いまさらながらにマキノ雅弘のスピード感に圧倒された。多作の大衆映画作家マキノ雅弘は「やっつけ」が上手だ。それは「手抜き」とはちがう。ご覧、安兵衛が高田馬場の決闘場まで韋駄天走りをしていくシーン、パーカス鳴り打つ躍動感、右から左へパン! パン! パン! の連続。撮影所の中に敷かれた移動レールの短さがわかるのだけれども、同じシーンを数回繰り返すことで生まれるスピード感。酔っ払った安兵衛が店を出たところで敵に囲まれるシーンがあるのだけど、その殺陣のキャメラには本当にワクワクする。やたらと近寄ったり切り替えしたりはせず、ほぼ固定位置のままだ。阪東妻三郎の動作が美しく緩急が見事なので、余計な演出は不必要なのだ。

バンツマ演じる中山安兵衛は終始ぐでんぐでんのヨッパライ。その安兵衛が、叔父に説教をされたあと、ひとりで叔父の言葉を復唱するシーン、この張り詰めた空気はさすが板の上のバンツマ、至芸だ。既に香川良介が喋ったのと全く同じ台詞を、まるで違う言葉のようにバンツマは唱え直す。こちら側に伝わるものが二倍いや十倍にも膨れ上がる。わたしたちは安兵衛の長屋仲間の熊公やそのおかみさんたちと同じように、外から物見遊山のようにその姿を見届けていたのに、いつしかひどくやるせない気持ちになっている。

すこしでも武芸か舞踊を嗜んだことがあれば、バンツマのチャンバラがどれだけ安定したものかがわかるだろう。片足で跳ねたり駆け出したり、急に振り向いたりと、トリッキーな動きが多いのだけれども、どんな動きをしても腰だけはつねに安定していてブレがない。スピードと緩急と安定、修練された動作。挙動と挙動は流れるようになめらかに連なり、時に驚くようなアクセントやインパクトが加わる。しかし絶対に軸がブレることはない。バンツマの立ち回りは、大振りなくせに腰が重たくて鈍い最近の役者にはみられない躍動感に満ちている。

赤穂浪士のなかでわたしは安兵衛がダントツに好きだ。堀部安兵衛になってからの忠誠心と冴えた判断力もまた魅力ではあるのだけど、安兵衛はやはり中山安兵衛に限る。長屋で粗忽な人々と一緒に暮らして喧嘩の仲裁をしているころの、人肌のある佇まいがほんとうにすてきだ。