山の神さまと村人と渋さ知らズ

htr2006-10-30

晴れた秋の日、中央線の下り列車に乗るのは実にたのしい。拝島から武蔵五日市線に入ると山間の単線を走ることになる。そこが東京であっても、単線は旅情をくすぐる。決して「田舎の風景」ではないのだけれども、ずいぶんとのんびりとした視界が開けてうれしくなる。武蔵五日市駅からいつもなら「ひのでつるつる温泉」に向かうバスに乗るのだけれども、今日は「第十回深澤渓あきるの芸術祭」へ。一年に一度、深い谷でにぎやかに行われるマツリ。最初に訪れたのは三年前のこと、湿った秋の匂いを感じながら手作りのステージで観た渋さ知らズの音楽とマツリの風景が心地よかった。この日はいつも秋の遠足気分で、白糸の滝のまわりでおにぎりを食べ、日の出の温泉に浸かって、風呂上りに畳のうえで昼寝をして、それから夕暮れの山のなかで音楽を聴いた。夜が深まるにつれて冷えていくからだを甘酒であたためて、川岸を照らすろうそくの灯りにのんびりとしたきもちになった。昨年は東京に嵐がやってきて、軟弱にも雨の山に怖気づいて西荻窪善福寺公園でピクニックをしていたので、このマツリを訪ねるのは二年ぶりだった。
二〇〇三年:http://d.hatena.ne.jp/htr/20031019
二〇〇四年:http://d.hatena.ne.jp/htr/20041017

十年目を迎えたという芸術祭は実に豪勢なことになっていた。飯田の天渋を思い出させるような手作りテントが建てられていて、マツリの規模もずいぶんと大きくなっていた。冷えたからだで足踏みをして尿意をごまかし暗闇の谷から見上げた夜空にじんとしたような、あの数年前の記憶と感覚と興奮はすこし控えられてしまったけれど、そこにはまたちがう熱狂があった。山の神さまとの交信から離れ、人の手で作られる宴になったとでもいうのだろうか。それはそれ、とてもすてきなことだと思う。絵があって彫刻があって巨大な風船オブジェがあって詩の朗読があってそして音楽があって渋さ知らズがある。村人たちはこれを総合的なマツリだと胸を張って言うことだろう。よそものであるわたしもそうおもう。しかし宵の口からこのムラにやってきた旅人たちのなかには、これを渋さ知らズのワンマンステージだとおもいこんでいる人もいるのかもしれない。そんな、三年前には感じ得なかったなんとも奇妙な気分をすこしだけ残して山を下り、真っ暗な車窓の武蔵五日市線に揺られて毎日の生活へと戻った日曜の夜。