渋さ知らズ「渋舞謡夜曲」―ある世界

こんにちは、クマムシです

三軒茶屋世田谷パブリックシアターにて渋さ知らズ公演「渋舞謡夜曲」。初日の金曜日は前夜祭(という名の通常営業)、土日の二日間が本公演。海外旅から戻ってきてからはずっと客席でライヴを観てきたのだけれども、じつに一年ぶりに渋さ知らズの現場入りです。

初日は午前十時にステージ上にスタッフ集合。舞台監督安部田さんを中心に既存のステージが「ある世界」へと組み立てられていく。海外ツアーや過去公演でのポスター資料に額縁をつくる作業(額はダンボール、装飾はボタン)をして、出来上がったものをロビーに飾り付けていく。脚立を登ったり下りたりしているうちに、舞台には青健画伯の絵を布で表わした巨大タペストリーが吊るされていた。五メートル以上の正方形の幕のうえに、青い鳥がからみあって鳴いている。ああ、やさしい絵だなあ。まだ作業中のステージに吊るされたその幕は、もうすでにひとつの物語を描き出していた。ここにさまざまな光線があたり、怒濤のごときあの音楽が鳴り響き、色とりどりの舞が重なり、そして足元からたくさんの歓声があがったら、この場にはどんな風景ができあがるだろう。

午後四時過ぎにミュージシャンが集合して、舞台上で音出しがはじまった。客席から見学する。はじめて聴く音楽、ああ、そうか、これがうわさの新曲なのか。奇妙な五拍子と、波動のように伝わるリズム。よく見るこなれた演奏ではなく、ちょっと不器用で乱雑なコミュニケイトで混乱する舞台上。見渡すと舞台上にも袖にも客席にもたくさんの人がいた。ミュージシャン、ダンサー、役者、ダンドリスト、スタッフ、有象無象をバクッとのみこんだ渋さ知らズ、この「現場」そのものが大掛かりで大真面目で壮大な「鳥獣戯画」なのだ。

三回のライヴを通してどこにも同じ景色は無かったよう。オノアキさんが今回生み出した巨大オブジェ「クマムシ」は、いつもの龍とはまたちがった動きと雰囲気でゆったりと客席を漂っていた。舞台奥でクマムシの介添えをしながらペロさんと話す。「まだクマムシの気持ちがわからないのよ」「きっとクマムシもはじめての劇場でドキドキしているんでしょう」。頭上を漂う銀色の「龍」や、勢いよく膨らんで暴れる「ハンド君」(いつのまにか「君」付けになっている)は、よく「生き物のよう」という形容をされるけれど、旅のあいだに龍と歩きながら、まさに生き物なんだなあと思うことがままあった。テグスを引いても離しても、こちらの思惑どおりには動いてくれなければ、ときには予想を裏切るほどの親しみを見せたりもする。五年ほど前、フジロックに現れた巨大な銀色の龍が、興奮した観客にいじられ触られて悲しく破れてしまったことがあった。そのときわたしは、目の前でヨレヨレになっていく龍を見るほかないしがない観客のひとりであったのだけど(そんなかわいそうな龍に触ったろうなんて思えなかったよ)、いまでは龍やクマムシが現れると観客は銀色に光るからだを見上げながら龍使いに道を譲っていく。きっと、音楽や照明や唄を含んだすべてのセットが龍やクマムシが飛びやすいような空間を作るようになったのだと思う。これが、この数年で渋さ知らズが作り上げたシーンのひとつだ。

二日間の本公演ではクマムシが飛んだり、三階席でハンド君がワサワサと暴れていたり、斉藤社長がロックスターなギターをかき鳴らすとその床が動いたり(人力)、渡部さんが「水で戻したワカメとそのままの昆布」を身につけて登場したり、妖艶なポールダンスがピンクの時間を作り、舞台高台では舞踏家の身体にペインティングが施され、横沢紅さんと青健さんのスクリーンが舞台後方を彩り、五本のバルーンの巨大柱がそびえ立ったり、と、視覚的に贅沢なスペクタクルだった。視覚が聴覚を喰ってしまったほどだった。そしてあの青い鳥がはばたく巨大な幕は、想像以上の風景を作り出していた。

 

土曜日の開演直前に舞台袖で不破さんが言った。「この劇場、ステージ上での音が最高なんだ。それにどこかで見たような景色なんだけど、いったいどこだったっけ」。きっとベルギーのゲント、三階客席まで吹き抜けの、あのクラシックでよく整備されていた劇場、Time Festivalで演奏したVooruitのシアターでしょう。龍と一緒にあのときもすてきなライヴだったけれど、きっといまはあの頃よりもずっと大きな風景に出来上がっている。渋さ知らズは面白い集合体だなあと改めて思い、その夜はひさしぶりにおとなげない呑み方をして泥酔状態で午前四時にタクシーで運ばれました。

青山健一 http://aoken.jugem.jp/