おはようをめぐる冒険

グッドモーニング!

午前八時、ゴミを捨てに外に出るとなんとも素晴らしい晴天。陽射しは柔らかくわたしを迎え、足元からの冷たい空気が寝ぼけた肌を引き締める。静かで穏やかな朝、明け方に見た荒唐無稽な夢を引きずったままの呆けた顔を帽子で隠して、とつぜんに、散歩スイッチオン。近所のコンビニエンスストアを通り越して駅へと歩き出す。祝日の朝、店を開けているのは駅前のコーヒーショップくらいかと思いきや、美容室からあでやかな振袖姿の女の子が出てきてお母さんと一緒に記念撮影。

朝日を右手に神田川沿いをのんびりと歩く。左手にはまだ寝ぼけた様子の住宅街、前には高井戸清掃工場の煙突が一本、うしろには自分の長細い影、川には紅と白の模様の鯉、遊歩道には犬とおじさん。すれ違うときにおはようって挨拶しようかな。でも互いになにも言わずに知らんふりをして通りすぎてしまった。白い煙突は白い煙をモクモクと吐き出して青空を惑わせ、高井戸駅の高架上を井の頭線の水色の車両が通過する。午前八時、町はちゃんと動いている。駅前のミスタードーナッツの女の子がレジで言うのは「いらっしゃいませ、店内でお召し上がりですか?」。おはようを交わすかわりに温かいカフェオレと甘いドーナッツをいただいた。

帰りみちは神田川と街道のあいだの住宅地を歩く。チビッコふたりとお父さんの朝の散歩。チビたちの視線はわたしのミスタードーナッツの紙袋に釘付けだった。買ってもらえるといいね。杉並のこのあたりは豪邸と団地と生産緑地が等しく土地を分け合っていて、ふと道を曲がるととつぜん懐かしい風景に出会うことがあるので面白い。前に古本屋で買った井伏鱒二の『荻窪風土記』の描写や武田泰淳がどこかで書いていた荻窪がまだ沼地だったころの話を思い出す。ウィークデイならせわしなく働いている朝の住宅地も、きょうはすこしのんびりと寝坊しているみたい。すこし先、せまい路地に面したアパートの一階の窓が開いて、おばあちゃんがふとんを干していた。おはようございます、なんて突然声をかけたらビックリしちゃうかもしれない。ここでもおはようをのみこんで、かわりに小声で鼻唄をうたった。目深にかぶっていた帽子はぬいでしまった。朝の光が寝癖でペシャンコになったオカッパ頭をやさしく温める。大きな歩幅でせっせと歩いているうちにずいぶんとからだも柔らかくなってきた。

午前九時、マンションの集積所からはゴミが消えていた。家を出る前にまわしはじめた洗濯もちょうど終わっている頃だろう。さて、早起きした朝、時間はたっぷりある。洗濯物を干して洗い物を片付けて床掃除をして、それからお風呂上りに体操でもしようかな。鍵をさしてドアを開ける。
「おかえり」
きのう、一緒に夜更かしをしていた友人が台所でお茶をのんでいた。
「あれっ、おはよう、起きてたんだ」

このおはようを言うために、今朝はずいぶん遠くまで歩いてしまったんだ。