一九七〇年、「恋の大冒険」

ハッピーな出会い

羽仁進監督の『恋の大冒険』(一九七〇/東宝)という映画のことを知ったのはずいぶん前のことだ。映画評論家の山田宏一さんが一九六九年に羽仁進監督の『初恋地獄篇』をかついでカンヌに宣伝しに出かけたこと、その後、羽仁監督のミュージカル・コメディ『恋の大冒険』のシナリオを共同執筆したという話を読んだことがある。山田さんはこの映画のことを「羽仁進の映画にしては不出来なものに終わった」と書いており、いたって平凡なアイドル映画のひとつに過ぎないのだろうけれど、この映画のスクリーンの裏側には山田宏一和田誠というふたりの映画ファンの出会いがあった。その経緯は、山田宏一和田誠の対談集『たかが映画じゃないか』の序文で山田さんが書いている通りだ。

「シナリオの構成がほぼ固まってシーン割りを始めるあたりまでこぎつけたある日、三番町ホテルの羽仁さんの部屋に行くと、なぜかわからなかったが、ぼくらの知らない若い(というか、童顔の)男がひとりいて、ちょっと若き日の――寝不足気味の――ジェームズ・メイスンといった感じで、部屋の片隅にじっと、心持ち猫背にして坐っていて、ときどき、シナリオに口だし(傍点)するのであった。この正体不明の男は、羽仁さんがちゃんと紹介してくれなかったので、その日仕事をしている間ずっと、何者かよくわからずじまいだったが、彼の口だし(傍点)するところは、だいたいミュージカル・ナンバーが入るシーンで、そのアイデアがまた抜群に冴えていた。すくなくとも、それは一九五〇年代に封切られたミュージカル・コメディに狂ってきた同志にはまったくうれしくなってしまうハッピーなメッセージであった。彼が、ときどき、「たとえば、こんな感じでさ」などとそのシーンを説明しながらヒョイヒョイと細い線で描いてみせてくれた絵が、また、なんとも愛すべきハッピーな感覚にあふれていた。その男が和田誠であった」(山田宏一和田誠『たかが映画じゃないか』/文藝春秋

一九七〇年のある日、山田宏一さんと和田誠さんが出会った。トリュフォーヌーヴェルヴァーグの仲間たちとの怒涛の六十年代をフランスで過ごし帰国した山田さん(山田宏一『友よ映画よ』は希望と絶望が交差する大活劇そのものだ!)と、広告会社ライトパブリシティを経てすでにハイライトのパッケージデザインや映画館のポスターなど独自のデザインセンスとイラストレーションで名を馳せていた和田さん(和田誠『銀座界隈ドキドキの日々』は篠山紀信横尾忠則らオールスター出演の青春映画だ!)。それぞれ「話の特集」にも関わっていたし、互いに実に無邪気で誠実な映画ファンであったのだから、ふたりが出会うのは必至のことだっただろう。その出会いがひとつの映画の現場であり、山田宏一のシナリオ(羽仁進、山田宏一渡辺武信の共同脚本)と和田誠の美術・アニメーションとがフィルムに残っているということは、その何期も後輩にあたる若き映画ファンのわたしたちにとってはじつに幸福でぜいたくなことだ。

銀座界隈ドキドキの日々 (文春文庫)

銀座界隈ドキドキの日々 (文春文庫)

その、羽仁進監督の『恋の大冒険』が、京橋のフィルムセンターの「歌謡ミュージカル映画名作選」で上映されると聞いたので、スキップしながら銀座線に乗り込んだ。主演はピンキーとキラーズのピンキー(今陽子)。田舎から東京に出てきた少女がせわしない東京の町で悪戦苦闘し恋をするという青春映画で、全篇に音楽とダンスがあふれるスラップ・スティックなミュージカル。冒頭は上京列車のシーン。車輪から映すあたりに、山田さんら映画ファンの心意気が感じられる。映画ファンにとって列車は希望の象徴だ。あばたもえくぼなニキビ顔のピンキーが夢見心地に唄い、女の子たちが踊り、コミカルな悪役の前田武彦がコミカルなオペラ・ショーを披露する。由紀さおり左卜全、悪の三ン下役に土居まさる(スリム!)など、キュートでおかしなキャストが画面を賑やかす。なんと植草甚一さんも特別出演している。JJ氏の出番はどこだったのだろう。
ミュージカル・シーンの中でも、ピンキーがアニメーションのカバにアテレコをし、そのカバとデュエットしていくシーンは秀逸だ。キュートなダミ声のカバとピンキーの二重奏。そこで描かれたカバが和田誠さんのアニメーション。やさしいドローイングで、ピンキーの声もこのカバによく似合っている。中盤になってようやくこのアニメーションが登場したことで、映画の行方がようやくすっきりとまとまった。全体のハッピーエンドを導き、主人公ピンキーの爽やかな失恋を癒すカバ・アニメーション。

その筋書きは怪電波やら催眠術やらが出てきてへんな話ばかりなのだけど、全篇を彩るキュートな音楽とアニメーションと、カバをはじめとした動物たちと、足元を駆け回るチビッコが活き活きと描かれていてとても愉しい映画だった。子どもの表情がとてものびのびとしていて、アイドル映画という制約があったがゆえの「失敗作」だとしても、子どもの描き方はさすが羽仁進監督だと感じられる大らかさだった。

以前、ハタリブックス古書部で『たかが映画じゃないか』を紹介したことがあって、この本は絶版のようですが、古本屋で見かけることが多いです。ソフトカバーの表紙や裏表紙にも対談が載っているゆかいな一冊。わたしも古本屋で見かけるとほぼ毎回買ってしまう本のひとつです。山田さんによる序文は、こう語り締めくくられています。「和田誠と会えば、いまでも、映画の話だ。映画の話だけでも、時間が足りない。そしてぼくは、彼の語る映画のなかに、失われたハッピーな感覚を見いだすのだ。人生がそんなにハッピーであるはずがないのに――。」

余談ですが、ハタリブックスの本棚にあったこの一冊をお買い求めいただいたのが『犬猫』を監督した井口奈己さんで、これもまたふしぎな出会いです。井口さんいは山田宏一さんの青山映画誌の教室などでお会いしたりしました。井口さんもいよいよ新作にクランクインしたそうで、井口さんの日記(id:nmnm-i)には「いろんな失敗も成功もあるけど 楽しくって 即死しても 成仏できる自信がある」。これってそうそうそう言えることばじゃない。どんな映画になるのかとても楽しみです。