毒血と薔薇―無頼大集合

神保町の東京堂書店にて、平岡正明さんと菊地成孔さんのトークショーを見に行く。平岡さんの新著『毒血と薔薇 コルトレーンに捧ぐ』(国書刊行会)の発売記念イベントで、本書の解説を菊地さんが書いたことで実現したという組み合わせ。事前に書簡はあったものの、ほんの三十分前に初対面だったというおふたり。

コルトレーンの四十回忌追悼『毒血と薔薇』は、とても装丁のきれいな本。その一方で、「俺はストリート・ファイターでね」という平岡さんの言葉通り大人げなくって面白そうな一冊。これからしばらく電車の友になりそうな充実した一冊。おふたりの対談のなかでの言及。「離婚に強い人と弱い人がいる、コルトレーンは弱かった」(平岡)。「モードチェンジとレボリューションは違う。コルトレーンはモードチェンジの人なのに、最後に革命をしようとして混乱したんです」(菊地)。

ところで満員の会場の客席を見渡せば、マインスイーパーかよってな具合、日本の無頼が大集合で腰が抜けた。あちらに「暗黒プロデューサー」の康芳夫氏、その隣に前衛芸術家の秋山祐徳太子氏、こっちにはウィークエンドスーパーな編集者末井昭氏、右手には『戦後日本のジャズ文化』の著者であり音楽家であるマイク・モラスキー氏、そのななめ後ろには反逆王子な評論家伊達政保氏、そしてわたしのすぐうしろには金大中小理論な和尚上杉清文氏が。

極めつけは「…って梁石日が書いていた。ああ、ヤンさん、どこかな?」と平岡さんが呼ぶと、「え、聴こえなかったなあ」と、ななめ後ろで立ち上がったのが梁石日氏!

「知性の発展段階に関する俺の図式は次のようなものだ。二枚目知性―三枚目知性―無頼。無頼とは、「頼るなし」、自在なる知性であって、内包するものは、白痴になりたい、オカマになりたい、殺人鬼になりたい、の三つである。」(当日配布された平岡氏から菊池氏への私信より。この知性の発展図式については『平岡正明のDJ寄席』でも言っていましたね)

毒血と薔薇―コルトレーンに捧ぐ

毒血と薔薇―コルトレーンに捧ぐ